加害行為をしている人の心の中で起きていること
パッと見、虐待やハラスメントなどの加害行為をする人は、自分中心で攻撃的で凶暴に見えます。だけど、その心の中で起きている動きはどちらかと言うと「被害者的」である場合が多いのです。「お前のせいで私がこんな目に遭った(遭う)」というパニック状態であり、お仕置きというよりは、相手(子どもや部下など)を自分より強く大きな相手と誤認していて、自分のパニックをそのまま丸ごと相手にぶつけていることが多いです。甘えている、とも言い換えられます。
だからあの動画を見た時、駅なんかで子どもの服や髪を引っ張って引きずり回すなんていう最凶にみっともない、醜い行動をしてしまっているあの母親が哀れでかわいそうで、きっと本人もそんな醜態晒したくないだろうに、しかし心の葛藤が抑えられずこんなことになってしまったんじゃないかと思うと、見ていられないほどこちらもつらくなりました。
すでに誤認状態の人に「お前は間違った行動をしている」と真っ当な切り口で糾弾するのは一つの手だけど、それだけではなく、愛のようなもので包み込んで「あなたは間違った解釈をしている」と教えて安心させるという方法も、長い目で見たら効果的だと個人的には思うのです。
どんなやり方をすればよかったのか
あの動画のアップ、というかそういった動画をアップできるようになったSNSの存在は、街中での保護者の子どもへの乱暴の抑止にものすごく影響していると思います。
今回、ファミレスで「あなたのことをもし私が今撮影してSNSにアップしたらバズってしまうと思いますよ」と言うのが、もしかしたら一番スッとおさまる方法だったかもしれない。
でも私は人にそんなこと言いたくないので絶対に言わない。しかしそういう形であっても、伝えたほうがよいのだろうか? とまたグルグル考えてしまいました。
街中で虐待を見た時の対応、どうしたらいいのか、今後もいろんな人に聞いて考えていきたいと思いました。
1978年東京都生まれ。2001年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞(青林工藝舎)。母からの過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)を2012年に刊行、ベストセラーとなる。ほかの主な著書に『キレる私をやめたい』(竹書房)、『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』(河出書房新社)、『しんどい母から逃げる!!』(小学館)などがある。