ローマ帝国黄金時代のすさまじい規模
歴史学というのは伝統的には人文科学に属してきた。しかしここ十年間で、歴史の謎を解く研究に携わる自然科学者が増えている。
新たな技術のおかげで、人間が移住するにつれてどのように農業が世界に広まったのかや、われわれホモ・サピエンスとネアンデルタール人が交配していたかなどを知ることができ、歴史的なパンデミックの原因となった微生物の調査も可能になった。こういった発見により、歴史学者の研究に強固な基盤が提供された。
歴史上最大の謎の一つが、古代後期にローマ帝国が完全崩壊した原因だ。とはいえ仮説自体には事欠かず、歴史家アレクサンダー・デマントの研究によれば200説以上あるという。その解釈の多さからも、帝国の崩壊の理由が一つだけでは説明がつかないことが窺い知れる。
キリスト誕生前後の数世紀に最盛期を迎えていたローマは、西側世界で政治的にも領土的にも他に類を見ないサイズだった。ローマ崩壊後、世界の銀行や商業信用機関が同じ規模の売上を達成できたのはなんと17世紀になってからだ。穀物輸送船が同じ大きさになったのは19世紀、同じ規模の大都市、つまりロンドンが誕生したのもその頃だ。ローマが崩壊したのも驚くべきことだが、その黄金時代の規模もまた驚嘆に価する。
なぜヒト、モノ、カネが集まったのか
歴史家カイル・ハーパーは著作『ローマの運命 気候、疫病、帝国の崩壊』で、自然科学研究を活用して、そのテーマに新たな光を投げかけた。
彼の分析によると、ローマの全盛期は気候が暖かく安定し、珍しいほど温暖な時期、つまりローマの気候最適期だった。雨もたっぷり降り、オリーブやブドウが大陸の北のほうまで栽培できた。
この好条件により、地中海沿岸では長期にわたって大豊作が続き、そのおかげで人口が何倍にも増えた。新しい村が雨後のタケノコのように出現し、集落は山の斜面を上っていった。ローマでは発達した徴税システムのおかげで金庫も満たされていた。
税収と多くの人手があることで、相当数の職業軍人(兵士の数にして50万人という規模)を擁し、それによって領土を拡大し、主要地域の平和を維持していた。当時は世界人口の約4分の1がローマの統治下で暮らし、税収、貿易、都市化、そして帝国の隅々まで技術が普及したおかげで飛躍的な発展がもたらされた。
温暖な気候、安定した政治インフラ、それに帝国の野心という組み合わせこそが、ローマを当時最強の帝国にしたのだ。ほとんどの人にとってほとんどのことが上手くいっている時期には、国を支配するのはさほど難しいことではないはずだ。