母性は自然の本能ではない

「適齢期で結婚して子どもを2~3人産み、主婦として家事とケアを一手に引き受ける女性」が一般化したのは、日本では戦後になってから。第一次産業から第二次産業に転換していく高度成長期のことです。「子どもを愛しケアする母」はさまざまな歴史・社会的条件が整わなければ存在できないのであって、母性は女性に備わった自然の本能などではないのです。

かつては「3歳までは母の手で」といういわゆる「3歳児神話」がありましたが、1998年の厚生白書では「合理的な根拠は認められない」と否定されました。

同様に、「親に感謝するのは普通」といういい方も相対化することができます。「機能不全家族」「毒親」といった言葉があるように、残念なことに、この世のすべての親が我が子を愛するに足る能力や資源を持っているわけではありません。なかには愛し方がわからず暴力をふるってしまう親もいるのです。そういう親に「感謝しないこと」はおかしいどころか、子どもが自分で自分の存在を大切にするうえで、たいへんまともなことでしょう。

母親が台所で赤ちゃんと一緒に料理
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あたりまえを疑う

2016年、女優の山口智子さんが「子どもを産んで育てるのではない人生を望んだ」「後悔はない」と語り話題になりました。2022年には、O.ドーナトの『母親になって後悔してる』(鹿田昌美訳、新潮社)という、そのものずばり「母親になったことを後悔している」女性たちにインタビューした研究書がベストセラーになりました。実際、現代の日本社会では望む・望まないにかかわらず、子どもを持たない人生を生きる女性は増えています。「子どもが欲しくない/いなくてもいい」という人を「おかしい」としてしまう態度は、単にデリカシーがないばかりでなく、そうした現状に対する知識不足の結果でもあります。

当然のことですが、世の中にはいろんな人がいて、いろんな評価軸があり、「普通の人」がどこかにいるわけではありません。自分の感覚を「普通」、異なるものを「おかしい」といってしまう背景には、自分がどういう人間でどういう感覚の持ち主なのかをきちんと考えたことがない、という現実があるのだと思います。

ひるがえって、「わたしは普通ではない」と日常生活のなかで感じさせられる人は、必要に迫られて「自分とは何か」を懸命に考えます。結果として、自己を知り、「あたりまえ」とされる価値を疑い、多様な他者への想像力を持つ――つまり世界を広げていく可能性に、より開かれていくことがあるのです。