家康の四男・忠吉の舅として関ヶ原で先陣を切る必要があった

家康としては、自分の人質時代に名代として自軍を率いてくれた忠茂の遺児であるから、東条松平家+松井家が徳川の先鋒としてふさわしいと考えていたに違いない。

菊地浩之『徳川十六将 伝説と実態』(角川新書)
菊地浩之『徳川十六将 伝説と実態』(角川新書)

松平甚太郎家忠が嗣子なきまま死去すると、家康は四男・松平薩摩守忠吉(初名・忠康)をその養子とした。そして、忠吉の妻に井伊直政の娘をあてた。かくして、東条松平家+松井家から井伊家を経由して忠吉に繋がる血縁ラインができあがったのだ。

ここで思いだされるのが、関ヶ原の合戦で、直政・忠吉が物見と称して、戦の先陣を切った故事である。家康のアタマの中では、徳川家の先鋒を務める忠次・家忠の後継者、直政・忠吉が関ヶ原の合戦の口火を切ることが必須だったのであろう。

そして、関ヶ原の合戦後、井伊直政は近江佐和山(のち彦根)、忠吉は尾張清須に置かれた。これは、西日本で有事の際に忠吉を本隊とする軍が先陣を務め、その先鋒に直政を配置するという構想であろう(ただし、忠吉もまた嗣子なきまま死去してしまい、その後継者として、家康の九男・徳川義直が尾張清須〈のち名古屋〉に配置された)。

菊地 浩之(きくち・ひろゆき)
経営史学者・系図研究者

1963年北海道生まれ。國學院大學経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005~06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、國學院大學博士(経済学)号を取得。著書に『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)、『日本の地方財閥30家』(平凡社新書)、『最新版 日本の15大財閥』『織田家臣団の系図』『豊臣家臣団の系図』『徳川家臣団の系図』(角川新書)、『三菱グループの研究』(洋泉社歴史新書)など多数。