園長より現場のほうが、ずっといい
義母が亡くなったお葬式の場で、園の理事会はこう言い渡した。
「主任保母は、引き続き繁子さんに。園長は、眞さんに任せる」
眞さんは当時、25歳。大学卒業後にデザイン学校で学んで、卒業したばかり。
「なんで、おれが? って、信じられませんでした。母親でいいだろうと」
繁子さんはお茶目に笑って、一言。
「私だって園長なんか、やりたくないもの。園長なんか、バカらしくて。現場のほうがずっといい」
しかし、このおかげで「小俣幼児生活団」には、画期的な新風が吹き込まれることとなった。眞さんは自身が求める幼児教育を探す中、モンテッソーリ教育に行き着いた。そして数年かけて、保育士をモンテッソーリ教師養成コースに送り込み、園長も繁子さんも、保育士も全員、同じ思いで、モンテッソーリの自由保育を柱にした、子どもの育ちの場に「小俣幼児生活団」を作り上げることとした。
96歳の力強いピアノで5歳が元気よく踊る
築170年の古民家、玄関を入ってすぐの板張りの広間に、小さなピアノが置かれている。繁子さんが眞さんに手を引かれ、スッと椅子に座る。その姿勢は、ピンと美しい。細くて長い指が鍵盤に置かれるや、力強く、歯切れの良いピアノの音が室内に響き渡る。
ピアノの音を聞くや、外で遊んでいた子どもたちが次々と広間にやってきて、リズムに合わせて身体を動かす。弾んだり、ジャンプしたり、スキップしたり、揺れたり、捻ったり、音を身体で捉え、リズムや音の強弱、高低に合わせて自由自在に動いていく。どの子からも、楽しくてたまらないという笑顔が溢れている。友達と一緒に動くことが、とてもうれしそう。繁子さんが奏でるのは、即興のリズムとメロディー。楽譜通りに弾くのが、嫌いなのだと言う。
これが96歳になった今でも担当する、繁子さんが大好きでたまらない「リトミック」だ。何と力強く、変幻自在なピアノなのだろう。子どもたちと繁子さんが一体となって織りなす、自由闊達な活劇を見ているよう。
子どもたちが待っていてくれるから
「子どもはリトミックが好きで、私がピアノを弾くのを待っていてくれる。私もリトミックが好きで楽しいから、いくつになってもやりたいんです。読み聞かせも大好きで、リトミックと語りは今も、私の担当です」
最初は、“ヨメ”からのスタートだった。命令されて取った保育士資格ではあったが、一生の仕事として保育士として身を立て、その仕事を今も全うする。繁子さんにとって働き続けることは、どういうことなのだろう。
「嫁の時は私を認めてくれる人なんて、誰もいませんでした。やっぱり、そういうことだと思うんです。認められるということ。今も子どもたちは、私のピアノを待っていてくれますから」
昔話に出てくるような大きな古民家には、今日も力強いピアノの音と、野生児のようなたくましい子どもたちの笑顔が溢れている。
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)などがある。