3000坪を超える敷地が園児たちの遊び場
栃木県足利市の西部、JR両毛線小俣駅から北へ徒歩15分ほどのところに、「奇跡の保育園」と呼ばれる園がある。その名も、「小俣幼児生活団」。かつての名主屋敷が丸ごと保育園となっている、里山に抱かれた保育園だ。ここでは今も、96歳の保育士が現役で働いている。
木造の門をくぐれば、総二階建ての重厚な造りの古民家に目が釘付けとなる。母屋だった建物で、ペリー来航の2年前の嘉永4年に建てられたものだという。母屋を中心にいくつもの蔵や納屋などがあり、これら江戸期や明治期の建物が園舎として今も使われている。
3000坪を超える敷地には、小高い山や森や梅林や池があり、全て園児たちの遊び場になっている。ここは「子どもたちの、昼間の大きな家」なのだ。
東京女子大の数学科を中退して結婚へ
大川繁子さんは今から78年前、母親と一緒に、この門をくぐった。東京に住んでいた2人は戦時中、大切な荷物を遠い親戚にあたる大川家に「疎開」させており、戦後、そのお礼に伺ったのだ。
東京に戻ってすぐ、大川家から使いがきた。「あの娘を、息子の嫁にもらいたい」
当主きっての願いだった。
繁子さんは1927(昭和2)年、東京に生まれた。1945年4月に東京女子大学数学科に入学、戦争末期ゆえ、女子大生も軍需工場での労働に追われたものの、戦後は本来の大学生活が待っているはずだった。なのに、繁子さんは大学を中退して結婚するのだ。
なんともったいない話ではないかと、首を傾げるこちらに、繁子さんはお茶目に笑う。華奢な身体つき、時折補助はいるものの自分でしっかり歩き、エレガントなブラウスに指には華のあるリング。センスある装いと朗らかな笑顔に、96歳への思い込みが吹き飛んでいく。
「私、あまり家事をしないから、嫁の貰い手がないだろうと思っていたから、請われたところに行くほうがいいかなって。請われた時に行かないと、一生、行けないなと思ったの」