ミツバチの社会では女王バチだけが卵を産み、働きバチがそれを支える。生物学者の小林武彦さんは「子孫を効率よく増やせる繁殖方法といえる。ヒトも遠からぬ未来、同じような分業体制、つまり産むヒトと産まないヒトの二極化が起こる可能性があり、すでにその傾向は始まっている。産むヒトを社会全体で支える仕組みが必要だ」という――。

※本稿は、小林武彦『なぜヒトだけが老いるのか』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。

「老害」という言葉は年齢差別、「徳のある人」は多い

社会にとって有益な「いいシニア」がいるのであれば、やっぱり悪いシニアもいるのでしょうか。

若い女性と高齢の女性
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一部の高齢の政治家や企業のトップに「老害」という言葉が使われるのを耳にします。最近はそういう「公人」以外にも時々使われるようです。私はこの言葉が好きではありません。理由は老いていること(人)が害であるかのような印象を与えるからです。これは年齢による差別であり、人に対する侮辱です。

老いは特定の人に突然くるわけではありません。全ての人が、今この瞬間もある意味では「老いて」いるわけです。「死の意味」から考えても、現在の自身の「生」は過去の多くの「死」の結果です。

「死」は他者の「生」のためにあると言ってもいいのかもしれません。死はそれほど尊いものなのです。ですので、自分より長く生きていて、自分より先に亡くなる可能性が高い人には、敬意を払うべきです。「老い」は「死」に至る過程であり、利他的で公共性の極みであり、かつ自分たちの将来の姿なのですから。

シニアの定義を復習しますと、生物学的な「年齢」とは切り離して、知識や技術、経験が豊富で私欲が少なく、次世代を育て集団をまとめる調整役になれる人のことです。簡単に言えば「徳のある人」です。

シニアは、ヒトの寿命を延長させてきた社会に有益な人たちです。そのため定義的には「悪いシニア」はいません、つまり「悪いシニア」は「シニア」ではありません。ただ完全にシニアになりきれていない発展途上の「なんちゃってシニア(?)」はいます。私自身もそうだと思います。

「老い」は死を意識させ、公共性を目覚めさせる

ヒトは他の生物には見られない長い老後期間があります。なぜ進化において「老化したヒト」の存在が選択されてきたのか――。

社会性の生き物であるヒトは、家族を中心とした集団の中で進化してきました。集団の結束力で生き残ってきたのです。そこでは子育てや教育に貢献し、集団を安定させ豊かにする役割を担う「ヒト」の存在が有利となります。そうした役割を担う知識や経験豊富なヒトを「シニア」と呼ぶならば、シニアは必然的に年長者が多くなります。

結果として、長寿で元気なヒトがいる集団が「強い集団」となり選択され、現在のヒトの長寿化につながっていったのです。言い方を換えれば、「老化はヒトの社会が作り出した現象」と考えられます。生物学的に表現すると「なぜヒトだけが老いるのか」ではなく、老いた人がいる社会が選択されて生き残ってきたのです。