たった一匹のメスが繁殖を引き受ける究極の分業社会

どちらもヒト目線の捉え方で、実際にはそのような思惑もストーリー性もなく、進化の結果、たまたまこの形のものが生き残れただけです。ただ、分業は集団としての効率を上げるので、その意味では後者の見方が正解に近いのかもしれません。

小林武彦『なぜヒトだけが老いるのか』(講談社現代新書)
小林武彦『なぜヒトだけが老いるのか』(講談社現代新書)

実際にミツバチの社会構造の進化の過程を見てきたわけではないので、真実かどうかは確かめようがないのですが、こういう説明も可能という程度で、私の推察をお話しします。

ミツバチの祖先が生きていた環境では、集団が大きいほうがより丈夫で安全な巣を作れ、また食料集めにも有利だったのかもしれません。そのため、子孫の数を効率良く増やす仕組みを持つグループが生き残れる確率が高かったと推察されます。その場合、個々のメスがそれぞれ卵を産むより、産むことを専門とする個体(女王)を作り、それをみんなで保護し、餌を与え、支えたほうが、生産性が良かったのかもしれません。

たとえばミツバチの有名な行動に「尻振り8の字ダンス」というものがあります。これは蜜のある花畑を見つけた個体が巣に戻り、その場所を他の個体にお尻を振って音を出して教えます。お尻を振っている時間の長さが、花畑までの距離(1秒が約700メートル)、お尻を振って移動する方向が、太陽との角度を示します(図表1)、それを見た個体は、その場所を目指して飛び立つわけです。このような高度な情報収集の技を獲得できたのも、分業のおかげでしょう。

ヒトの社会でも「産む」と「産まない」が分業になりつつある

社会性の昆虫では、構成個体は女王の子供、あるいは姉妹です。言ってみれば集団として一つの生命体のようなもので、女王はその生殖器官の役割を担っているのです。もしかしたら、ヒトも遠からぬ未来、同じような分業体制、つまり産むヒトと産まないヒトの二極化が起こるかもしれません。

すでにその傾向は始まっていると思います。産むヒトを社会全体で支える仕組みがきちんとできれば、もしかしたら少子化対策の一つになるのではないかと私は思っています。いずれにせよ、子供を産みたいと思った人が、安心して産める社会を作ることが何よりも大切ですね。

小林 武彦(こばやし・たけひこ)
東京大学定量生命科学研究所教授(生命動態研究センター ゲノム再生研究分野)

1963年、神奈川県生まれ。九州大学大学院修了(理学博士)、基礎生物学研究所、米国ロシュ分子生物学研究所、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所を経て現職。前日本遺伝学会会長。現在、生物科学学会連合の代表も務める。生命の連続性を支えるゲノムの再生(若返り)機構を解き明かすべく日夜研究に励む。海と演劇をこよなく愛する。著書に『寿命はなぜ決まっているのか』(岩波書店)、『DNAの98%は謎』(講談社ブルーバックス)、『生物はなぜ死ぬのか』『なぜヒトだけが老いるのか』(以上、講談社現代新書)など。