すぐにイライラしたり怒ったりする、偏屈な年寄りにならないためには、どうしたらいいのか。明治大学教授の齋藤孝さんは「昔の元気な自分や、自分の考えに執着するから変化に対応できず怒ったり悩んだりすることになる。そこで仏教の『諸行無常』という言葉が、素晴らしい処方箋になる」という――。(第1回/全3回)

※本稿は、齋藤孝『60歳からのブッダの言葉』(秀和システム)の一部を再編集したものです。

座ってうつむく人のシルエット
写真=iStock.com/kumikomini
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全ては移り変わるもの

初老というのは、どれくらいの年齢のことでしょうか?

もともとは40歳の異称でしたが、現在では60歳前後あたりからが初老ではないでしょうか。やはりここでも還暦を一つの区切りにしてもいいと思います。

この年齢、すなわち初老になると、総じて怒りっぽくなったり、イライラしたり、不安に襲われたりしがちです。ただでさえ頭が固くなっているところに、還暦を境にほとんどの人は、仕事やプライベートでの環境が大きく変わります。

その変化に対応できず、フラストレーションやストレスがたまる。それがイライラや怒りにつながっていく。

よく、偏屈な年寄りを「頑固ジジイ」と言いますね。心が頑なで頭が固いから、頑固。つまり自分の考え方に固執する人が、すぐイライラして怒りっぽくなるわけです。

そのイライラや怒りが自分に向かってしまうと、自信を失ったり、自分を責めてふさぎ込んでしまう。

「初老性うつ」ということで、最近は特に注目されています。

その点、仏教は素晴らしい処方箋を与えてくれています。

仏教の「諸行無常」の教え

仏教には皆さんご存じの「諸行無常」という言葉があります。

「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
(『真理のことば』277)

これは仏教の根本的な教えである三法印さんぼういんの教えの一つです。

諸行無常 すべての行いも形のあるものも、流動変化していて、一瞬も同じところに留まることがないという真理。
諸法無我 すべては因縁によって生じたもので、自分自身もそれらの関係性の中で生まれたものであり、実体はないという真理。
涅槃寂静ねはんじゃくじょう 諸行無常と諸法無我を見極めることで、執着を失くし、涅槃という悟りの境地に至るという真理。

すべては移ろい変化してゆく。仕事で頑張ってきた自分も、50歳、60歳となるとやはり立場や役割が変わってくる。変化していくわけです。

それなのに、昔の元気な自分に執着したり、自分の考え方に執着するから変化に対応できず怒ったり、悩んだりするわけです。

これを最初に見極めて、この世の真理だとしたブッダは、やはり素晴らしい。

「しょせん、すべては諸行無常だからね」と言われて、「あ、確かにそうだ」と気づく。自分が執着し捉われていたものは、実は常に変化するもので、実体もないのだと目が覚めるわけです。