坂本は死ぬまで「若者世代に対抗する壮年」ではなかった

限られた機会の中で私が接した時点の坂本は、自分の時間を生きていた。そうであればこそ、どこか鷹揚で寛容だった。「若者世代に対抗する壮年」ではありえなかった。背中を押されたように感じた。いま思えば、次のようなメッセージを勝手に受け取っていたということなのだと思う。

あなたは決して「後追い世代」ではない。あなたがあなたの時代を生きるかぎり。あなたはあなたの後追い世代ではないのだから。

私たちは、私たちの時代をそのまま生きるだけで、坂本たちが成したことにごく自然に触れることができる。80年代、坂本龍一がメインに使っていたヤマハのDX7というシンセサイザーがある。初音ミクのビジュアルイメージには、坂本にかぎらず世界中の音楽家に愛用された(楽器の世界でも、かつて日本は強かったのだ)、そのDX7のデザインがオマージュされている。電子音楽の大衆化、すなわち大衆音楽へのシンセサイザーの導入は世界的な潮流だったが、日本におけるそのあり方のトーンセッティングをしたのはやはりYMOである。

前線のボカロPにとっての坂本は「音に対して誠実だった」

21世紀日本の音楽を代表すると言えるほどに、若者を中心に人気を博しているボーカロイド音楽カルチャー。その牽引者であるボカロP(初音ミクなどボーカル・シンセサイザーを用いて音楽活動をする作家)たちとも話をしたが、彼/彼女らの多くは「後追い」という気負いなしに、坂本の音楽に触れていた。

10年以上にわたってこのシーンの一線を走りつづけるボカロP、sasakure.UKは、自身も多彩な電子サウンドを操る先進的な作家だが、坂本に一番影響を受けたのは、具体的なサウンドの意匠など以上に、「ソウル」だと言った。「坂本さんは、09年の作品『out of noise』で、北極圏で出会った氷の音を自分の音楽に取り入れていました。何十年間にもわたって、坂本さんは新しい音への探究心を持ちつづけていた。音に対して、ずっと、真剣で誠実だったのだと思います。その姿勢に敬意を感じます」。