子連れで戸別訪問をし布教活動するエホバ

【斎藤】父権主義的な圧力だったんですか。「エホバ」は、カルトとしては比較的緩いイメージだったので、ちょっと意外な気もします。エホバの証人と聞くと、子連れで戸別訪問をして布教するイメージがありますけれど、横道さんも連れて行かれたんですか?

【横道】私は多動のある発達障害児で、挙動不審な印象を与えるので、連れて行けなかったですね。母がなかなか正式な信者にならなかったことも理由のひとつだったと思います。子どもたちは体にぴっちり密着する服を着せられ、家から家を回るのですが、私はそういう服はほんとうに無理でしたから、その点では助かりました。自閉スペクトラム症の感覚過敏というやつです。代わりに6歳下の弟が犠牲になっていた記憶があります。弟は私よりも利発で顔立ちもよく、周囲に与える印象がぜんぜん違いますから。2歳下の妹は妹で、母とは同性ですから、私とは違った苦しみを体験したと思います。

私は学校でも、エホバの証人の集会でも、いかにも自閉スペクトラム症の子らしく人間関係が作れず、いつの間にかポツンと孤立してしまうので、王国会館でもひたすら苦痛でした。集会でじっと座っているというのは、発達障害児にはかなりしんどいことです。耳から入る情報を拾うのが苦手という特性、聴覚情報処理障害があるので、私は話をなかなか聴くことができず、手元の聖書や副読本を一所懸命に読んでいました。物語を読んだり、勉強になることをするのは好きでしたから。

教義に反することをすると母が体罰を課した

【斎藤】ところで、1992年に信者の親が子の輸血を拒否し子どもが亡くなる事件が起きましたが、横道さんはそういうタブーによって危険な目に遭うような経験はされましたか?

【横道】教義に反することをしたとき、母の逆鱗に触れたときの体罰は激しかったですね。命の危険にさらされるほどのものではありませんでしたが、部分的な精神崩壊は体験していて、いわゆる離人症的な感覚はしょっちゅうありました。体罰を受けている自分を、別の自分が見ているという感覚です。

【斎藤】お母さんの体罰は、基本的には「エホバ」の教義に反した場合に、なんでしょうか。

【横道】母の判断次第でしたが、一般的な日本の伝統的観念も混じっていたと思います。親に反抗的だったとか、集会でじっと座っていずに、あっちこっち動きまわろうとしたとか。どこまで聖書に即した規範だったのかは、微妙なところだと思います。私の言動は、発達障害児によくあるものでしたから、集会に行くと、母の面目を潰すような発言をすることもあるわけです。すると帰宅後、酷かったです。