※本稿は、横道誠(編)『みんなの宗教2世問題』(晶文社)の一部を再編集したものです。
男の子は新宗教に走った母親との間で葛藤する
【横道】斎藤さんは、子どもの虐待問題やいじめの問題にけっこう熱心な印象があります。
【斎藤】うちの研究室の専門分野の一つが、児童虐待なので虐待問題については、専門家として一貫して扱っているということがあります。
【横道】私のように、エホバの証人の2世の場合には、父親は信仰を持ってないことが多くて、母親が熱心という事例が豊富です。母親は、自分の息子や娘を連れて戸別訪問で布教をしたり、集会に出たりしますが、父親は無関心だったり反発したり。私の家庭もそうで、そのため父とよりも、母との葛藤が強くなりました。
息子なのに、母に対して恨みや憎しみを抱くというのは、多くの人に共感されにくいので、悩ましいのです。息子が父殺しをする物語とか、女性たちが母に抵抗感を抱く体験談、娘が父から受けた被害を告発する出来事などは、共感を得やすいと思うのですが。
息子にとって同性である父親は批判しやすいが…
【斎藤】虐待当事者の手記も増えてきましたし、当然そのなかには、母に虐待された息子の体験もあるはずですから、かつてよりは母の恩に感謝すべきとか、マザコンがデフォルトみたいな風潮はすたれてきた気はしていましたが、横道さんでさえ、育ててくれた母について、あしざまに言ってはいけないみたいな、道義的なプレッシャーを感じるんですね。
【横道】やっぱり、父の悪口のほうが言いやすいですね、同性だから。
【斎藤】それはそうですね。父と対立して母と密着するというオイディプス・コンプレックス的な構図は、時代を超えて全世界共通ですし。
【横道】父の至らなさは理解しやすい面があるので、正々堂々と反発できるのですが、母の苦しみというのは、わからないところもあるので、責めづらいんです。