退職を決意
週明けから出勤はした。だが、ドライブ中のできごとを境に、会社にいても、自宅にいるときでも、彼は放心することが多くなった。会社に相談してまた支店勤務に戻してもらった。パワハラ上司からは解放されたが、彼の症状が改善されることはなく、やがて、古くからの上司や同僚から美紀に連絡がくるようになる。ご主人の様子がおかしいので、迎えに来てもらえませんかと。それも一度や二度ではなかった。
診察を勧められて受診したところ、鬱病と診断された。
西脇は二度目の休職届を出した。そのとき、彼の休職を嘲ったパワハラ上司のメールが彼の脳裏を過ぎったかどうかはわからない。だが、西脇はこれ以上会社に迷惑をかけられないと思い、退職を決意した。
それがいまから20年ちょっと前。そのときの彼は、まだ30代の後半だった。
応募した企業は50社以上
最後に会ったときの西脇には好転の兆しがあった。退職から二年の自宅療養と通院を経て、彼は就職活動ができるまでに回復していた。私の住まいは横浜にあり、彼は横浜で面接を受けるから、そのあとだったら会えそうだと連絡を寄越した。
地下三階にある東急東横線の改札を抜けて地上階に出ると、当時は正面の二階に「キャメル」という喫茶店があった。横浜駅の再開発でいまはなくなってしまったが、古き良き時代の横浜を知る人には懐かしい喫茶店だ。昼下がりに私たちはその喫茶店で待ち合わせたが、スーツ姿の彼を見るのも久しぶりのような気がした。
「もう30社以上落ちてる。ほとんどが書類審査で落とされるね。面接まで漕ぎ着けたのなんて何社ぶりだろうって感じがする。やっぱり、40歳を過ぎると再就職って難しいね」
おどけたように言うが、彼なりに面接の手応えを感じていたようだ。鬱を発症してからはついぞ見ることがなかったほどに彼は饒舌だった。だから私も、今度こそ大丈夫だろうと思っていた――、が、甘かった。
結局、彼はその会社から採用されることはなく、その後も応募を続けたが、ことごとく不採用に終わった。応募した企業は、ゆうに50社を超えた。鬱病にこの現実は厳しい。不採用の通知が届くたびに、彼の“やる気”も削がれていく。いっときは良くなりつつあった彼は、またネガティブな思考に陥り、世の中はもう自分を必要としていないのかという絶望にたどり着く。
この頃は、彼からもまだ連絡はあった。あの会社、残念ながら不採用でした。今度も不採用だった。また不採用。今度もダメ……、メールでのやり取りだったが、日を追うごとに文章は短くなり、やがて、彼からの連絡は途絶えた。