とことん付き合うしかない
忘れられない失敗は、誰にだってあるものだ。気にしているのは当人だけで、その場にいた人たちは、もう忘れているに違いない。問題は失敗ではなくて、そのあとのリカバー。そこで人の真価が問われるってもの。ちゃんと謝ったし、もう大丈夫だよ。私は自分で自分の親友になりすまし、通りいっぺんの励ましの言葉を思い浮かべる。大丈夫、大丈夫。
いや、だめだ。今夜は全然効かない。すべての言葉に「でも……」で返したくなってしまうから。観れば必ずブチ上がる映画も、大好きな音楽もだめ。ちょっとした隙間――場面転換の間や次の曲へ移るコンマ数秒のブランク――の暗闇に、ネガティブ場面がぼわっと浮かんでくる。ヒュッと息が止まり、私はまたギュッと目をつぶる。
こうなったら、とことん付き合うしか手がないことを、私は知っている。いまベッドにもぐりこんだところで、眠りに落ちるまでヒュッとギュッの無限ループが続くに違いない。眠りに落ちることができればの話だけれど。
落ち込みをフラットに持ち込むための儀式
私は洗面所の棚から、誕生日にもらった美顔器を引っ張り出してきた。転んでもただでは起きぬのが信条。ネガティブを頭から追い出せないのなら、そのあいだに手を動かして顔の手入れをしてしまおう。私が美顔器で好きなモードは導入でもひきしめでもなく、クリアモード。普段の洗顔では取りきれない、肌に溜まった古い角質や毛穴の汚れを取り除く機能のことだ。ふき取り用化粧水をしみこませたコットンを、美顔器にセッティングする。どういう仕組みかよくわからないけれど、これで肌をやさしく撫でていると、うっすらコットンが汚れてくる。特にあご、眉間、おでこまわり。本来は洗顔後に行うものだけれど、今日は化粧もしていないし、このままやってしまおう。その分たっぷり汚れが取れるはずだ。
美顔器で顔の表面を撫でるなんて単純作業の極みだから、ネガティブ思考はどんどん加速する。手を動かしながら、頭と心で答えのない問いを繰り返す。繰り返すたびにコットンは汚れ、私の顔面から少しずつ不要なものがそぎ落とされていく。
落ち込んだときには掃除をするといいと聞いたことがある。単純作業を繰り返すうちに、目の前が綺麗になって気分が晴れるのだそうだ。私は億劫な上に欲が深いから、これを自分の顔でやる。汚れたコットンを見ると、心の芯にへばりついていたネガティブがはがれ落ちたような気分になる。二度三度と繰り返し、うんとやわらかくなった頰やおでこに手をあて、ホッと息を吐く。ああ、気持ちいい。
このあとビタミン導入なんかをやるともっといいのだろうけど、面倒なのでパシャパシャと化粧水を叩きこんで儀式は終了。前向きになれたとまでは言えないが、フラットにはなんとか持ち込めた。今夜はこれで十分。はい、おつかれさまでした。
落ち込むたびに顔が綺麗になるなんて、我ながら素晴らしいシステムを開発したと思うんだよね。