断捨離もこんまり法もできるのに!
そして私はそこで自分の性質に気づきました。
私はモノを片付けられない性分、と自分で思っていたけど、「いる/いらない」の断捨離も「ときめく/ときめかない」で分けるこんまり法も、できる、すぐできるんです。迷いがない。
だけど、さっき書いたように「捨てる際のこと」がすごくネックなんです。明らかにゴミはパッと捨てられる。だけど不要品って全部がゴミじゃないんですよね。
子どもの作品は確認や解体に罪悪感を感じ、他のいらないモノたちも「新しいから明らかに欲しいと思う人がいるモノ」とか「そんなに欲しい人が多くはなさそうだが、即ゴミ捨て場に行くには忍びないモノ」とかいろいろありません?
さらにその中でも「高価で取引できるモノ」と「大した額にならないモノ」とか、「知ってる人に直接あげるほうがいいモノ」とか「フリマアプリで売ったほうがいいモノ」とか。不要品てかなり無数に分類できませんか⁈
つまり、「いる/いらない」「ときめく/ときめかない」の分類作業時間より、「手放し方を決めてそれにそって一個一個手放していく作業」のほうが8倍くらい時間を要しませんか⁈
「手放し作業」が一番大変だった
全部ゴミに出して捨てちゃえばいいのかもしれないけど、「納得できる別れ方」をしないとなんかあとあと後悔しそう、って思ってしまう。「断捨離こんまり分類作業」が終わったあとの「手放し作業」の時間をもとからカウントしてないので「終わった」と脳が勘違いして、結局「手放し方をそれぞれ決めて、それに沿って手放していく作業をこれからやらなきゃいけないモノ」のかたまりを、家の中の1カ所とか2カ所とか3カ所くらいに置いておく、っていうのを私はやってしまうんです。
そうするとそこが「川のゴミだまり」の拠点となって、モノの流動が悪くなっていって、せっかくこないだ片付けて家の中スッキリしたのに、またなんだかゴチャゴチャしてきた……っていうのを繰り返しています! いわゆるリバウンドっていうものなのでしょう。
でもやっぱり子どもがそれぞれどんどん成長して、やることや興味あることがめくるめく変わっていく中で、そして日々忙殺される中で、モノをその時ごとにスッパリ処分していける人って、そういう夫婦って、すんごい「モノ処理能力」高いと思います。
「自分はその能力が低い」ってことを悩んでたけど、低くて当たり前じゃね? って思うことにしました。だって、無理だもん!
気を取り直して、休日を4週にわたり返上し、要不要でモノを仕分けしまくって、とにかく「モノ処理」を片手間でやらないようにしました。モノ処理に集中する。この時間を持つこと自体、やっぱり子どもが小さい時は難しいよ。今までできなかったのは仕方ないよ、と自分をはげましながら!