共産主義と資本主義のいいところ取り
その後、辛亥革命で清は倒れ、1949年に共産党政権が成立しました。ソ連の傘下ではなく、自力で革命を遂げたため、中ソ関係に一定の距離があったことが発展のひとつのポイントでした。ソ連は当初は中国を支援したものの、その後政治問題などで対立が続き、中国は西側と接近しました。
当時、中国は人口が多く、土地があり、治安がよく教育が行き届いていました。そうした素地もあり、その後、70年代後半から、経済特区や14の都市で経済技術開発区をつくり、欧米の資本を呼び込むことで、資本主義的な市場経済を発展させ、問題が起きれば、市場を強引に統制してコントロールしていきました。いわば、共産主義と資本主義の「いいところ取り」の改革開放路線が見事に奏功し、驚異的な成長を遂げたのです。
ただ、問題が2つあります。中国の人口の92%は漢民族で、残りの8%は他民族です。新疆ウイグルなど56の民族・自治区が国土の65%を占めているので、万一自治区が独立すると、中国は国土の3分の2を失い、12億の漢民族を現在の3分の1の土地で養うことになり、窮地に陥ります。
台湾も同じです。中国の排他的経済水域の面積は世界で10番目、229平方メートルと日本より狭く、台湾が独立すると、権力の及ぶ海域が狭まり、漁業や資源採掘ができなくなります。これもまたマネーの事情です。
では日本の事情はどうでしょうか。バブル崩壊後、長く経済が低迷し、この30年間で給与は上がっておらず、平均賃金はOECD加盟国35カ国のなかで22位です(※)。世界第2位の経済大国だったこともある日本がなぜこのように没落したのでしょうか。
実は第2次世界大戦に敗戦しても、産業インフラはそれほど損傷しなかったので、戦後は早く復興しました。池田勇人内閣の所得倍増計画では、所得に焦点を当てたことで労働者と企業が協調し(雇用は守る、ストライキはしない)、経済成長を達成できました。
1ドル=360円で固定されていて人件費も安かったので、高品質低価格の日本製品は世界中で競争力を持ち、日本の輸出攻勢で、アメリカは対日貿易赤字が蓄積しました。
日本は余ったお金で欧米の不動産などを買収し、「円が世界を買う」との脅威を感じたアメリカは、「日米構造協議」を持ちかけ、日本をけん制しました。同盟国アメリカに逆らえない日本は総額630兆円というGDPを超える公共投資を約束させられたのです。しかも間違ったセクターに投入し、日本経済は衰退しました。教育や福祉や先端事業への投資をせず、公共事業のみに投資し、癒着を生むだけになったのです。
※2021年OECD(経済協力開発機構)主要統計より