損得を超えて接すれば心満たされる関係が生まれる

高けれどもおごらず、損すれどもえいを招く
――『吽字義

たとえば、部下や子どもに対して高飛車な物言いをしたり、お店の人に横柄な接し方をしたり……。自分が相手よりも優位な立場にある時、私たちはつい傲慢ごうまんな態度をとってしまうことがあるものです。しかし、そのような姿勢は、自分自身に返ってきます。人間関係は鏡のようなものなので、自分が相手を見下せば、必ずいつか自分も見下され、敬遠されるのです。

空海は、次のようにいさめます。自分が相手より高い立場にあったとしても、おごってはいけない。たとえ損をしたような気持ちになっても、思いやりを持って接すれば、自分自身は満ち足りるのだ。

この教えは不動ふどう明王の境地を指していると空海は説きます。不動明王というと、憤怒の表情をした恐い仏様というイメージがあるかもしれません。しかし真言宗では、大日だいにち如来の化身として、慈悲深く人々を導く存在なのです。

どんな人にも謙虚さと優しさを持って接すれば、何より自分の心が満たされ、穏やかな気持ちになれます。すると不思議なことに、不満や苛立いらだちが減っていくのです。もちろん、人間関係も円滑になります。ぜひ試してみてください。

母は居間で息子を叱る
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自分をさらけ出せば自分本来の力が現れる

覆えばすなわち長劫じようごう偽獄ぎごくに沈み、
発陳ほつちんすれば仏の真容しんようを見る
――『金勝王経秘密伽陀』

あなたは、自分をさらけ出して生きていますか? そう聞かれて、「はい」と答えられる人は少ないかもしれません。しかし、空海はいいます。

自分を覆い隠していると長く地獄に苦しむ。しかし、心をさらけ出せば、真の仏の姿に出会える。だから、自分をいつわらず、ありのままの自分を出していくのだ、と。

ただしこれは、我を押し通すことではありません。

ここでいう「ありのままの自分」とは、私たちの中にある仏様と同じ性質、仏性ぶつしようのことです。私たちは、仏性を持っているにもかかわらず、欲や怒りや迷いなどの煩悩ぼんのうでそれを覆ったままでいます。

しかし、いつまでも仏性を覆っていると、「苦」という“地獄”の中で生きなければならないと空海はいっているのです。