何でもない“ふつう”のことの大切さをかみしめて――
手術で胃の8割を切除したが、術後の経過は良く人間の治癒力に感動する。2週間の入院生活では自分とゆっくり向き合う時間を過ごせた。
「目の前がパッと明るくなる瞬間があり、今がいちばん心も健康だと感じられました。自分にとって何が大切なのか、信頼できる人は誰かということも明確に見えてきた。だから早く復帰し、自分を支えてくれた人たちに恩返しをしたい。親や友人、会社の人など、誰かの役に立つ生き方をしようとあらためて思いました」
胃がんの病名を家族に伝えたとき、母親は泣かなかった。持病を抱えながら、毎日病院へ通ってくれた母への感謝の念も強かったのだ。早くに姉と兄を亡くし、両親やきょうだいと暮らす家を支えてきた玉山さんは、いっそう「生き抜く覚悟」を固めた。
職場復帰は、時短勤務からスタート。抗がん剤治療も始まり、人事部や産業医と相談しながら無理なく勤務時間を延ばしていく。
「自分の体調を正直に話すようにしました。休職前は誰かに迷惑をかけてしまうとか、自分の仕事を任せるのは申し訳ないと考えていたけれど、1人で頑張りすぎなくてもいいのかなと。周りの人に甘えることができるようになった気がします」
日々の生活も無理をせず、心地よい時間を楽しもうと決めた。実は闘病中に自宅の建て替えが重なり、退院して半年後に完成。玉山さんがプランニングした新居で両親と暮らし、一緒にお茶を飲んだりする何気ないひとときの大切さをかみしめている。
胃がんの手術から5年経ったとき、主治医から、「卒業おめでとう」と言われた。2019年3月、ちょうどこの頃スタートしたのが、がん経験者の社内コミュニティー「Can Stars(キャンスターズ)」の活動だ。
「やはり同じ痛みを分かち合った仲間だからこそ、笑って話し合えることもある。私もようやく自分の健康に少し自信が出てきたので、今後は支援する側になってみようかなと。皆さん、生きることに前向きな人ばかりで本当に明るいんですよ」
社外有志と一緒に、「生きている喜びを心から実感できるビール」をつくるプロジェクトを始動。玉山さんは社内で胃がん体験を講演することにも取り組んだ。そこで伝えたいことは、「自分の健康を過信しないで、体調の変化には敏感になってほしいのです。自分を守れないと家族を守れないし、健康であってこそいろんな人たちのために生きていけると思うから」。
玉山さんが働き続ける理由は家族を守りたいという思い。大好きな会社でやりがいのある仕事に就かせてもらえている感謝も大きい。26年に創業150周年を迎える日まで、さらなるチャレンジをめざしている。
1989年、短期大学卒業後、一般職としてサッポロビールに入社。本社勤務となる。宣伝室、広報室を経て、2009年、総合職へ転換。購買部勤務の14年1月に胃がんが見つかる。切除手術を経て、15年3月抗がん剤治療終了。サッポロホールディングス総務部に異動し、現在に至る。
撮影=田子芙蓉
1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。