そうか、ガチャなら仕方ない

子どもは親を選べない。どんな親のもとに生まれるかは偶然によって決まる。

親ガチャという言葉はその理不尽さをゲームのガチャにたとえて、端的でわかりやすく表現していました。4、5年前にこの言葉を初めて聞いたとき、僕は気持ちが楽になりました。そして、自分の置かれている境遇を少しだけ受け入れることができたのです。

その裏には、「そうか、ガチャなら仕方ない」とつき放して見ることでしか、自分の環境を肯定できない苦しさがありました。それでも、この言葉によって気持ちの落としどころが見つかり、しんどさが減ったことは事実です。

ほかにも、いろいろな考え方や工夫をして、いままでどうにか過ごしてきました。

逆に言えば、そのようにして、自分で苦しみの「出口」をつくり出すしかなかったのですが、あなたも自分なりに、自分を励ます言葉やつらさを乗り越える方法を見つけていってください。

悲観的だと思うかもしれませんが、悩みや問題が消えてなくなることはありません。でも人とつながり、誰かに頼りながら、自分でも心が楽になる考え方を見出していけば、きっとどんなことも受け止め進んでいけるはずです。

生き続けていくために「出口」を残しておきたい

僕が「死んでもいいけど、死んじゃだめ」と言うのは、死を思うほど苦しい人がそれでも生き続けていくために、「出口」を残しておきたいからです。

「死んでもいいなんて、けしからん」と怒る人がいますが、そういう人は、死を選びたくなるほどの苦しみを経験したことがないのだと思います。

毎日が真っ暗闇なトンネルのなかにいるようでどうしていいのかわからないとき、人の脳裏には、「究極の出口」として、自殺という言葉が浮かぶことがあります。

生きているのがあまりにもしんどいから、死んで楽になりたいという思いが芽生える。つまり苦しみから逃れるために、命を絶つという「出口」を自分でつくってしまうのです。

そんなとき「死んではいけない」と言われることほど、苦しいことはありません。

最後に残された出口まで奪われてしまうからです。実際、「死ぬのだけは許さない」と父に言われ続けた小学6年生の僕には、絶望しかありませんでした。