産後に始めたドローイングで個を取り戻せた

——作品解説によれば、妊娠、産後の時期は社会と切り離されている感覚があったということですが……。

【金沢】そうですね。まず、それまでのように時間が自分中心には使えなくなりますよね。行けなくなる場所も出てくる。特に子どもが生まれた直後はほぼ家にいることになり、自由に制作活動ができていた生活がパタンと閉じられるような感覚はありました。子どもに話しかけても、バーとかブーとかしか言いませんし、「大人としゃべりたいな」みたいな(笑)。そんなとき、夜10時から新聞紙のドローイングをしていると、“創作する個人”という自分自身に戻れた気がしましたね。

金沢寿美《新聞紙のドローイング》(部分)2022 年(撮影=強田美央)
金沢寿美《新聞紙のドローイング》(部分)2022 年(撮影=強田美央)

そのとき政治では表現や言論の自由を規制するような動きがあり、個より集団へと舵を切る政治や社会の変化に対する不安と、自分の自由にならない閉塞へいそく感が重なり、個がかき消されそうな焦りが、より制作へと向かわせたのかもしれません。

——企業で働く女性もそうですが、やはり産後に出産前と同じ仕事ができるかどうかというのは、ひとつ乗り越える壁になりますよね。

【金沢】美術、芸術は“道なき道”を歩んでいくものなので、企業などで働く人とは同列に並べられないと思いますが、女性のアーティストは特に、社会人になって制作できなくなる、結婚して制作できなくなる、子どもができて制作できなくなるという大きい転換点があると思います。

私も子どもが生まれた時、次の作品を心待ちにしている人がいるわけでもないですし、自分に制作する気力がなければこのまま、やめてもいいのかなと思っていました。言い訳ではないですけれど、どこかで現状に対するあきらめを肯定しようとしていました。

でも、そんな時に初めて個展を開き、それをオーストラリアのアーティストが見に来てくれて、「あなたのこのエネルギーって、子どもや子育てで補えるもんじゃないわよ。あなたは絶対に制作をやめてはダメよ」と言ってくれました。結局、子どもを産んだことで逆にそこから「このままじゃまずいぞ」とお尻に火がついた感じになりました。子どもがまだ小さい頃は昼夜問わず一緒にいたので、夜だけでなく、子どもがテレビで「きかんしゃトーマス」を見ている横で一緒に「ポッポー」って言いながらひたすら鉛筆を動かして……なんてこともありました。