子どもが寝た後、深夜に創作活動を行う
——「新聞紙のドローイング」は、金沢さんが鉛筆で塗りつぶしていった新聞紙をつなげた作品で、塗り残した箇所の写真や文字が浮かび上がり、まるで銀河や星空のようにも見えますね。よく見ると、コロナウイルスのCGイラストが残してあったり、「五輪観戦に陰性証明」「ウクライナ侵攻」などの見出し文字が見え隠れしたりします。制作はどのように行っているのですか?
【金沢寿美さん(以下、金沢)】子どもが寝た後の夜10時から午前3時ぐらいまで作業し、10Bの鉛筆で新聞紙見開きひとつを塗りつぶすのに3日から5日ほどをかけています。気になる言葉やイメージを残してみたり、「今日はとにかく黒くしたいな」と思うときはほぼ一面を塗りつぶしたり……。
皆さんも、新聞を読んだときに印象に残る記事があると思うのですが、それをゆっくり読むように消していきます。「五輪」「コロナ」のように誰もが知る大きな出来事以外に投稿欄で見かけるような個人の小さな声やつぶやきが目に留まることもあります。他にも全く関係のない広告の言葉が自身の心境とリンクすることもあったり。紙面に浮かぶ言葉を使って言葉遊びをしてみることも。そんな中、たまに塗りつぶさないスペースを作ることで、自分で言うのも恥ずかしいですけど、その部分が星のように見えてくるんですね。新聞ですから、数日後には消えていってしまうような言葉やイメージに小さな光を当てながら、鉛筆をひたすら動かし、静かな時間を楽しんでいます。
——森美術館の展覧会「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」(11月6日まで)の展示では約300枚もの新聞紙がつなげられ、カーテンのように吊り下げられていて強いインパクトを与えます。制作はいつから始めましたか?
【金沢】なんとなく始めたのは2008年ごろでしたが、具体的な展示に向けて本格的に取り組み始めたのは、出産してから。2016年ごろからです。妊娠中や産後って家にこもって“ひとり自粛”に入るじゃないですか。その中で、鉛筆と新聞紙でできる作品、つまり自宅でもできる作品を始めてみようということで、本格的に「新聞紙のドローイング」に着手しました。
それまで私は芸術学部の大学院を修了した後、どこのギャラリーにも所属せず、自分のルーツである韓国へ行ったり、国内外各地のアートプロジェクトなどに参加したりしながら活動を続けてきたのですが、赤ちゃんがいると、いろんなところに出かけて行ってそこで数カ月制作して帰ってくるということができなくなりました。結婚したパートナーは創作についてとても理解のある人ですが、やっぱり子どもの存在というのは勝手が違いましたね。
産後に始めたドローイングで個を取り戻せた
——作品解説によれば、妊娠、産後の時期は社会と切り離されている感覚があったということですが……。
【金沢】そうですね。まず、それまでのように時間が自分中心には使えなくなりますよね。行けなくなる場所も出てくる。特に子どもが生まれた直後はほぼ家にいることになり、自由に制作活動ができていた生活がパタンと閉じられるような感覚はありました。子どもに話しかけても、バーとかブーとかしか言いませんし、「大人としゃべりたいな」みたいな(笑)。そんなとき、夜10時から新聞紙のドローイングをしていると、“創作する個人”という自分自身に戻れた気がしましたね。
そのとき政治では表現や言論の自由を規制するような動きがあり、個より集団へと舵を切る政治や社会の変化に対する不安と、自分の自由にならない閉塞感が重なり、個がかき消されそうな焦りが、より制作へと向かわせたのかもしれません。
——企業で働く女性もそうですが、やはり産後に出産前と同じ仕事ができるかどうかというのは、ひとつ乗り越える壁になりますよね。
【金沢】美術、芸術は“道なき道”を歩んでいくものなので、企業などで働く人とは同列に並べられないと思いますが、女性のアーティストは特に、社会人になって制作できなくなる、結婚して制作できなくなる、子どもができて制作できなくなるという大きい転換点があると思います。
私も子どもが生まれた時、次の作品を心待ちにしている人がいるわけでもないですし、自分に制作する気力がなければこのまま、やめてもいいのかなと思っていました。言い訳ではないですけれど、どこかで現状に対するあきらめを肯定しようとしていました。
でも、そんな時に初めて個展を開き、それをオーストラリアのアーティストが見に来てくれて、「あなたのこのエネルギーって、子どもや子育てで補えるもんじゃないわよ。あなたは絶対に制作をやめてはダメよ」と言ってくれました。結局、子どもを産んだことで逆にそこから「このままじゃまずいぞ」とお尻に火がついた感じになりました。子どもがまだ小さい頃は昼夜問わず一緒にいたので、夜だけでなく、子どもがテレビで「きかんしゃトーマス」を見ている横で一緒に「ポッポー」って言いながらひたすら鉛筆を動かして……なんてこともありました。
育児の喜びでは補えないものがある
——産休中、育休中は、子どもはかわいいけれど、自分が世間から取り残されたような不安に襲われがちですよね。
【金沢】子育てをして子どもが愛しいという充実感と自分が今まで培ってきた個人としての業績は、まったく別物ですよね。私の場合は創作活動でしたが、それは育児の喜びで補えるものじゃない。でも、同時に子どもができたからこそ、それがきっかけになって「新聞紙のドローイング」を始め、完成させられたわけです。
うちの子は現在7歳ですが、今回、森美術館の展示を見てくれて、「すごい、いいね」と言ってくださって(笑)。「ところで、これいつからやってんの?」と聞かれたので、「あなたが生まれた時から」と答えたら、「おお、俺と一心同体か!」と喜んでくれました。当たり前ですが、子どもはいつか巣立っていくものなので、それとは別に自分の興味や関心があるものを保ち続けていると、人生は楽しいだろうと思いますね。それが仕事でも趣味でも創作や社会活動でも、なんでもいいので。
——いまだに女性に対しては「子どもが小さいときは子育てに専念、優先すべき」という考えが根強くありますね。
【金沢】私の母親もずっと働いていましたし、外に出るのが好きな人で、趣味も楽しんでいましたが、彼女の惜しみない愛みたいなものは感じて育ってきました。子どもにとっても、親には輝いていてほしいというか充実していてほしいのでは。でも、こういう「育児か仕事か?」という質問って、男性には問われないですよね。多くの場合、親は2人いるわけで、なぜ女性ばかりに問われるのかなとは思います。
よりよく生きるとは自分を持ち続けること
——金沢さんが育児をしながら新しいスタイルを切り開いて認められたという事実に、多くの女性が勇気づけられると思います。
【金沢】そもそも「新聞紙のドローイング」の始まりは、大学を出て作品制作から離れて関係のない仕事をしていた時でした。仕事で疲れて、家でちゃぶ台に置いてあった新聞紙に落書きをしてたんです。うれしそうに両手をあげる政治家の顔をなんとなく黒く塗っていたら、彼の顔からバーってきれいな星のようなものが出てきて、気が付いたら紙面いっぱいに夜空が広がっていました。
全く予想していなかった光景を目にした時、がらりと視点が変わるような感覚を覚えました。自分が今見ている限定された世界が崩れ、無限の時間軸の世界が立ち現れたような、俯瞰した視点に立ち戻れた。それまで作品を制作しているときに経験してきた感覚でもあるのですが、「でも、この感覚を他の人に感じてもらうには、新聞紙1枚だけでなく、圧倒的な量と時間が必要だろうな」という思いがありました。
今回の森美術館の企画展のサブタイトルは「パンデミック以降のウェルビーイング(編集部注:「よりよく生きる」という意味)」ですが、個人的にもこの作品は自分自身を取り戻せた、本当にただ想像する人に戻れる時間を再び与えてくれました。偶然ですが、今回の展覧会を通して、この作品が自分にとって「よりよく生きる」ことを問うところから始まった作品だったんだなと改めて気づかされました。