「男性稼ぎ主モデル」が社会の首を絞めている

一見恵まれていると思われる総合職の女性だが、男性並みに働くということは、何を意味するのか。男性は家庭のこと(家事、育児、親の介護)すべてを担う、妻の「ケア労働」があるからこそ、仕事だけをしていればいいわけだ。夜中までの残業だって、なんてことはない。

しかし、そのようなケア労働を担う存在がいない女性が男性並みに働くとなれば、自身が家庭を持つことを断念せざるを得なくなる。よほど家事を担ってくれる夫(そもそも、そのような男性は80年代、極めて希少だった)か、祖父母がいない限り、子どもを産み育てることと仕事を両立させるなんて不可能だ。

世は80年代半ば、いくら金銭に余裕があっても、民間の家事・育児サービスを利用する発想は乏しかったし、今ほどサービスが充実していたわけでもない。

男性が「家族サービス」(何が、サービスだと思うが)と称し、子どもの愛らしさに目を細める団欒のひとときを持てるのに対し、総合職女性は何と細く厳しい道を歩まざるを得なかったのだろう。

ゆえに女性が仕事と家庭を両立したいとなれば、自ずと低賃金のパート労働や派遣労働を選ばざるを得ないという、半ば強制された選択肢しか残っていない。それでも大黒柱である夫がいれば、妻は生活に困ることはない。

しかし、パートや派遣で働かざるを得ないシングル女性はどうなるのか。国が想定していなかった「男性に扶養されない女性」は現にいる。そして今、その数は1985年当時では、予想もできなかったほどの広がりをみせている。

女性の生涯未婚率(50歳時点で一度も結婚したことのない人の割合)を見ると、1985年は4.3%だったが、2020年には16.4%に急増。母子世帯数は1988年に84万9200世帯だったが、2016年には123万1600世帯へと増加している。

千葉大学、放送大学名誉教授で家族社会学が専門の宮本みち子さんは、「予想以上の出生率の低下と非婚化の進行について、人口学者が甘く見過ぎていた」と指摘する。

山田昌弘中央大学教授に、現代日本の未婚化の背景についてうかがったところ、若年男性の経済力低下に伴う経済不安と、男性が経済的に家族を扶養する意識が残存しているためという指摘を受けた。

まさに80年代に強化された、「日本型福祉社会」のための「男性稼ぎ主モデル」が、社会の首を絞めているわけだ。

「男性に扶養されない」女性に対して、国はいまだ態度を保留したままだ。シングルマザーに対して国がどのような眼差しを持つのかは、その国が女性をどのような存在として見ているのかと全く同義なのにもかかわらず……。