父親に建築の道を進むことを反対される

やがて建築を学びたいと思うが、父には「男社会だから」と反対されてしまう。高校の頃から人の悩みごとを聞くのも好きだったので、大学では心理学を専攻。それでも住宅に携わる仕事を諦めきれず、父に相談すると「インテリアコーディネーター」という職業があると勧められた。父も地元の岡山で住宅会社を起業しており、そこで研修を積むと、百貨店のハウジング部門へ就職。当時はまさにバブル全盛期、高額なシステムキッチンや増改築のオーダーがどんどん入る時代でもあった。

専業主婦時代について「家事も育児も楽しんでいたが、自己肯定感は少しずつ下がっていった」と話す。
専業主婦時代について「家事も育児も楽しんでいたが、自己肯定感は少しずつ下がっていった」と話す。(撮影=市来朋久)

「ショールームでお客さまとお話ししていると、どんな生活をしているのだろうと想像します。当時はまだ『収納』という概念がなく、大型収納の設計を任されることも多かったのです。けれど、そのうち漠然とした疑問が湧いてきました。この人はここに何を入れるのだろう、何でも大きければいいんだろうかという違和感があって……」

西崎さんには理想の暮らし方があった。よく遊びに行っていた叔父の家があり、転勤族で引越が多かったので、叔母はモノを増やさずにすっきりと暮らすすべを身につけていた。

そんな暮らしに憧れていた西崎さんは、24歳の時に友人の紹介で知り合った6歳年上の男性と結婚。大手外資系企業に勤める彼も転勤が多く、家庭に入って専業主婦になった。

結婚後まもなく金沢へ、そこで二人の子どもを授かった。育児は同じ転勤族のママたちと助け合い、自宅にもよく招いていた。いつもすっきりと片付いた家は、ママ友から「心地いいね」と褒められる。

家事も育児も楽しんでいたが、西崎さんの中では自己肯定感が少しずつ薄れていったという。

夫婦関係に亀裂が入った! “ある事件”

「私の父は母をすごく大事にしていて、娘たちにはいつも『パパが働けるのはママのおかげ』と話していました。私も夫婦とはそういうものだろうと思っていたのですが」

夫は家庭環境がまるで違い、昔ながらの男尊女卑が根づく旧家で育った。男兄弟の次男として育った彼は家事もいっさいせず、気に入らないことがあれば「誰が食わせてやっているんだ」と言うのが口癖の人。そんな夫婦関係に大きな亀裂が入る事件が起きた。

2011年の2月、夫は28年勤めた会社をリストラされたのだ。リーマンショックで経営不振になった社内で早期退職となり、失業の身に。さらに東日本大震災が重なって、再雇用してくれる職場も見つからなかった。

当時は福岡で暮らしていて、その春、私立高校へ進んだ長女は1年間のオーストラリア留学が決まっていた。息子は地元の中学へ入学。学費もかかる時期だが、夫は転職活動をしようとしない。不安と焦りがつのるなか、西崎さんは彼の机の上で証券会社から届いた封書を見つける。気になって開けた瞬間、血の気が引くような思いがした。

「前の年収ほどの金額がマイナスになっている株の取引明細で、これで退職金の大部分が一気に飛んだのだと気づきました。それまでは生活費しかもらっていなくて、退職金の金額も知らなかった。そのうえ夫は株のことも黙っていたのです。私はもうこんな生活はイヤだと思い、離婚を考えるようになって……」