「それまでは改善策を出しても『宮間さんには関係ないでしょ』とピシャっと拒否されたことも。研究のラインに復帰したらしたで、他部門の男性管理職に『よく研究職に戻れたね』と言われてしまいました」

C&I事業部IT開発本部の多彩なメンバーと
C&I事業部IT開発本部の多彩なメンバーと

前例がないとはねつけられても、引かない粘り強さ。私生活では保育園と実母と義母の助けを借りながら幼い子を育て、最新式の家電や住宅設備をフル活用し家庭を回してきた。

「娘が小学校に入って初めてお母さんが専業主婦である家庭の子と接し『すごいんだよ。学校から帰ってくると、お母さんがおかえりって言ってくれる家があるんだって』と報告してきたのは忘れられないですね」

「お母さんは仕事をやめられないの?」と聞かれて「私から仕事を取らないで。気が変になってしまう」と答えたことも。現在も同居する長女は戦友のような存在だという。

開発したシステムを販売。目標が達成できずに苦戦

37歳のとき画像合成技術を使って商品の色変更のシミュレーションなどが簡単にできる「Tri-V DESIGNER(トリヴデザイナー)」をリリース。自分のアイデアを実現したビジネスを成功させるべく、企画開発部門へ移った。システムが大型ショールームに採用されて成功の喜びをかみしめる一方、売り上げを背負う重圧も。43歳で室長になったが、毎月の目標を達成するのは簡単ではなかった。

「順調でないときは、会議で何を言っても言い訳になってしまう。開口一番『ご期待に沿えず申し訳ありません!』と謝ったこともあります」

2016年の内定式のあと記念撮影
2016年の内定式のあと記念撮影

チームの空気が沈んでしまい、部下から「何をやりたいかを言ってください」と直言された。それ以来、オープンマインドを心がけ、自分のアイデアや課題を部下と共有するように。結婚後の不本意な異動とは違い、売り上げが伸びるかどうかは自分の力しだい。2年で技術部門に戻ることになり、挫折したような気持ちにもなったが、その後も「稼げる技術集団」になることを目指した。

しかし、52歳のとき、これまでとは畑違いの人財開発部門の部長に。「考えたこともない部署なので悩みましたが、大きな仕事ができると思って」異動し、採用や研修を担当した。技術者から人事の管理職へ。そして、経営陣への道も見えてきた。次世代リーダーを育成するプロジェクトで唯一の女性候補となり、56歳で執行役員に就任。それは後輩の女性たちが待ち望んでいた瞬間だった。

「祝福の言葉をたくさんもらいました。もちろんそうして前例をつくることは大切ですが、私としてはむしろロールモデルがいないほうがやりやすかった。なぜなら、先行例と比較されずに済んだので(笑)。たとえ前例がなくても、自分はこうしたいというビジョンが明確にあり、それが会社にとってもメリットのあることなら、理解してもらえるはず」

宮間三奈子さんのLIFE CHART