入社翌年の結婚で事務職に。いきなりキャリアが停滞
他人から見れば、道なき道を歩んできた女性総合職1期生。しかし、本人は前例がなくても自分の仕事をやりたかっただけだと語る。大日本印刷の生え抜きで、初の女性役員、そして取締役になった宮間三奈子さんは、女性初の技術開発者という立場からキャリアをスタートさせた。1986年に総合職として入社した女性は30人弱。宮間さんは希望どおり研究開発部門に配属される。しかし、同期の男性と職場結婚すると、配置転換で事務職になってしまった。
「勤務していた研究所でも、既婚の女性エンジニアが働くという前例がなく、『家庭と仕事の両立はたいへんだろうから』という配慮によって、タイムカードの管理など庶務的な仕事になってしまいました」
当時の日本企業は、女性は結婚したら退社するのが当たり前だったが、「そもそも私は配置転換してほしいなんてひとことも言っていないのに」と納得できず上司に相談。すると「宮間さんにとって『鬼に金棒』となるものをつくりなさい」とアドバイスされた。産休から復帰後、感性工学に基づいた技術開発をしたいとリポートをまとめ何度も提出。2年後、研究職に戻ることができた。