考え続ける生き方

三番目の顔は、預言者であり詩人であり、説教者のニーチェだ。ニーチェは新時代の到来を告げ、これまでの散文的な哲学をすたれさせ、もっと文学的で、詩的で警句的な言葉(『ツァラトゥストラ』『アンチ・キリスト』)を投げかける。この第三のニーチェは、第一、第二のニーチェよりも難解だが、「永劫回帰」「力への意志」「超人間」といった新たな概念を生み出した。今この瞬間が「永劫回帰」してほしいと思うほど、今この時を強く生き、欲することで、人は超人間になる(「力への意志」は現状を肯定する個人の意志の力という意味合いが大きい)。

預言者としての顔を現す

彼は「すべての価値の転換」、ユダヤ教・キリスト教の誤った価値観や意味のないすべての偶像から解放された新しい時代を期待した。新しい時代、人間は「神殺し」をなし遂げ、自らの力や意志を神に投影するのをやめ、ようやくありのままの自分を肯定する力を十全に手に入れる。哲学者の顔は徐々に姿を消し、預言者の顔が現れる。預言者ニーチェは作品や書簡などに「ツァラトゥストラ」「アンチ・キリスト」「受難者」「ディオニュソス」と何度も名前を変えて登場する。ディオニュソスの名が再び出てきたが、さて、ニーチェの哲学をまとめることはできるだろうか。

もし、ニーチェに一貫性を求めるとしたら、その人生観、つまりは、流れのように、酔っぱらいのように、常にやり直しを重ねる純粋なる変転のなかでも、考えつづける生き方だけはずっと変わらなかったと言えるだろう。プラトン主義や「貧者のプラトン主義」と呼ばれたキリスト教は、確定された永遠のイデア、天国、つまりは真理を約束することで、「今、ここ」の人生を否定してきた。だが、ニーチェは「今、ここ」の生に固執したのだ。