フランスに“日本のマンガ学校”を

2014年4月にベトナム、フィリピン、フランスでの新規プロジェクトを進める海外事業推進室が新設されたが、フランス担当は馬渡さん一人。法務や財務などの専門家にサポートしてもらい、まずはフランスの市場を知るためのリサーチから始めた。そもそも何のコースを作るかも決まっておらず、そこを固めるために市場調査が必要だったからだ。フランスでアニメ人気が高いことはわかっていても、どれほど学習者のニーズがあるのか。学生たちの卒業後の進路も踏まえて慎重に判断しなければならなかった。

当時、フランスでは40歳前後の人たちが『ドラゴンボール』や『聖闘士星矢』などで日本のアニメファンになり、若い世代でも『ワンピース』や『NARUTO-ナルト』などのコミックスが人気だった。ゲームか漫画という2つのラインに絞り、最終的にマンガに決定。フランス大使館対仏投資庁(当時)の協力を得て、現地で候補となる場所を数カ所に絞り、視察に出かけた。

「アングレームは日本でメジャーではないけれど、街全体にマンガの文化が根付いています。『バンド・デシネ』で地方創生を目指し、アニメーションやゲームスタジオ、専門学校などを誘致して街を盛りあげようという空気もありました。バンド・デシネの学校も集まっているので、現地で人材も確保しやすいし、学生の進路として出版社とのつながりもつくれるのではと考えたんです」

ヒューマンアカデミーが開講するのは、あくまで“日本人の漫画家が教える学校”だ。マンガスクールは多くあれど、そのような形態のマンガスクールはまだアングレームにはなかった。カリキュラムは日本のスクールで結果が出ているプログラムをベースにして、日本の出版社とのコネクションも確保。馬渡さんはその年12月に現地法人を設立し、アングレームへ赴任。翌15年1月から学生募集をスタートした。

「学生が集まらず…」目標の半分の人数でスタート

しかし、プロジェクト開始早々に馬渡さんに困難が立ちはだかった。初年度の目標を40名としたものの、告知期間を十分に取れなかったことから学生がなかなか集まってくれない。現地チームは、代表の馬渡さんのほか、日本人の教員、通訳兼事務のスタッフ、イギリス人の校長の、わずか4人だけ。最初は言葉の壁もあり、事務処理ひとつでも苦労した。

いよいよスクールが開校したのは2015年9月。学生は20名しか集まらず、入学前のオリエンテーションも現場の段取りが悪く、だらだらと長引いて来賓から不評を買ってしまった。

「改善せねばと、翌年は日本では一般的な内容の式次第を作って、『これでどう?』と指示したら、スタッフからものすごく反発を受けました。シナリオや進行の時間目安まで、がちがちに決められるのが嫌らしく『こんなことできない。ロボットみたいだ』と。シナリオがあっても結局時間はどんどんずれていくし、次の年からは細かく指示するのをやめました」