欧州初・日本のマンガスクールを開校した立役者
フランス西部のシャラント地方に位置する古都アングレーム。城壁に囲まれた小高い丘の上にある旧市街には、12世紀の大聖堂やルネサンス時代の建物が残る。歴史ある街並みの中で目を引くのが、駅舎やバス停、民家の壁などいたるところに描かれた“マンガ”だ。
毎年1月に開催される「アングレーム国際マンガ祭」はヨーロッパ最大のイベントで、日本の翻訳作品も大友克洋、高橋留美子はじめ数多くの漫画家が受賞している。人口4万人ほどの街が20万人以上のファンでにぎわうという。そんなふうにフランスで「バンド・デシネ(マンガ)」の街として知られるアングレームに、日本のマンガスクールが進出したのは2015年秋のこと。幅広い分野で800以上の講座を展開するヒューマンアカデミーで欧州初の現地法人設立に携わったのが、馬渡幸恵さんだ。当時、一人で赴任したプレッシャーをこう振り返る。
「何で私なのだろう……私じゃなくても良かったのではないかと悩みました。フランス語は全然話せなかったし、英語も本当に会話というレベルに及ばなくて。あの頃はもういっぱいいっぱいになっていたと思います」
馬渡さんが海外事業推進室へ配属されたのは前年、2014年のこと。社内公募で新しい業務への異動を希望したのがきっかけだった。
「こんなチャンスはないよ」社長直々の予想外の辞令
ヒューマンアカデミーに入社したのは2002年。新卒で配属されたのは総合学園ヒューマンアカデミー福岡校だった。そこで初めてマンガやゲームのカレッジに関する学生募集を担当したのがはじまりとなる。
「高校を卒業したての学生から社会人まで、学生の顔ぶれはさまざまで好きなことを仕事にしたいと一生懸命勉強している。自分の能力を磨いて巣立っていく姿を見ては、すごいなと感動していました」
学生の姿が励みとなり営業成績を上げていった馬渡さんは、4年目からカレッジの運営を担当するように。カリキュラムの設計や講師のマネジメント、クラス担任として進路指導や行事にも携わる。その後、本社の商品開発課へ異動になり、新規カレッジの企画開発にも取り組んだ。
そうした経験を通して、馬渡さんはさらに根本的な事業戦略に関わりたいと思うようになる。そこでヒューマングループの社内公募に応募したというわけだ。当初はネイル事業を志望するが、面談が進むうちに思いがけない成り行きになったという。
「当時のヒューマンアカデミーの社長から、フランスで専門学校を作るという話があると聞き、『違うところでチャレンジしたいと思っているなら、フランスはどう?』と言われたのです。『何で私なんですか』と聞くと、学生募集、運営、講座のコンテンツ作りの3つを経験しているのは、私だろうと。『こんなチャンスはないよ』と背を押されました」
フランスに“日本のマンガ学校”を
2014年4月にベトナム、フィリピン、フランスでの新規プロジェクトを進める海外事業推進室が新設されたが、フランス担当は馬渡さん一人。法務や財務などの専門家にサポートしてもらい、まずはフランスの市場を知るためのリサーチから始めた。そもそも何のコースを作るかも決まっておらず、そこを固めるために市場調査が必要だったからだ。フランスでアニメ人気が高いことはわかっていても、どれほど学習者のニーズがあるのか。学生たちの卒業後の進路も踏まえて慎重に判断しなければならなかった。
当時、フランスでは40歳前後の人たちが『ドラゴンボール』や『聖闘士星矢』などで日本のアニメファンになり、若い世代でも『ワンピース』や『NARUTO-ナルト』などのコミックスが人気だった。ゲームか漫画という2つのラインに絞り、最終的にマンガに決定。フランス大使館対仏投資庁(当時)の協力を得て、現地で候補となる場所を数カ所に絞り、視察に出かけた。
「アングレームは日本でメジャーではないけれど、街全体にマンガの文化が根付いています。『バンド・デシネ』で地方創生を目指し、アニメーションやゲームスタジオ、専門学校などを誘致して街を盛りあげようという空気もありました。バンド・デシネの学校も集まっているので、現地で人材も確保しやすいし、学生の進路として出版社とのつながりもつくれるのではと考えたんです」
ヒューマンアカデミーが開講するのは、あくまで“日本人の漫画家が教える学校”だ。マンガスクールは多くあれど、そのような形態のマンガスクールはまだアングレームにはなかった。カリキュラムは日本のスクールで結果が出ているプログラムをベースにして、日本の出版社とのコネクションも確保。馬渡さんはその年12月に現地法人を設立し、アングレームへ赴任。翌15年1月から学生募集をスタートした。
「学生が集まらず…」目標の半分の人数でスタート
しかし、プロジェクト開始早々に馬渡さんに困難が立ちはだかった。初年度の目標を40名としたものの、告知期間を十分に取れなかったことから学生がなかなか集まってくれない。現地チームは、代表の馬渡さんのほか、日本人の教員、通訳兼事務のスタッフ、イギリス人の校長の、わずか4人だけ。最初は言葉の壁もあり、事務処理ひとつでも苦労した。
いよいよスクールが開校したのは2015年9月。学生は20名しか集まらず、入学前のオリエンテーションも現場の段取りが悪く、だらだらと長引いて来賓から不評を買ってしまった。
「改善せねばと、翌年は日本では一般的な内容の式次第を作って、『これでどう?』と指示したら、スタッフからものすごく反発を受けました。シナリオや進行の時間目安まで、がちがちに決められるのが嫌らしく『こんなことできない。ロボットみたいだ』と。シナリオがあっても結局時間はどんどんずれていくし、次の年からは細かく指示するのをやめました」
「私じゃなくても良かったんじゃないですか」
ずっと一人で頑張ってきたが、心の中には拗ねている自分もいた。開校した翌月に一時帰国し、初年度に集まった学生の人数など、事業の進捗を社内で報告すると、役員から「何でパリじゃなく、アングレームにしたのか?」との声もあった。馬渡さんはついに弱音を漏らしたという。
「社長に『私じゃなくても良かったんじゃないですか』と言ったんです。すると社長は『僕は営業スキルがあるとか、運営のことをすごく知っているということもない。けれど、誰を責任者として置くかということに関してはベストな選択をしているという自信がある』と。フランスに関しても間違いないと信じて、私を配置したと言ってくださって。それだけ信頼してもらえているなら応えたいなと思うと同時に、私がダメだったら、皆もダメなんだからと、開き直ることにしました(笑)」
この学校の授業には意味がない
学生への対応も日本と異なる苦労があった。フランスの若者たちは学習意欲が旺盛で、思うことをはっきり言う。カリキュラムへの要望や段取りの悪さ、連絡の不徹底などに対するクレームも多かった。
開校から3カ月ほど経ったある日、3、4人の学生がスタッフルームに来て「この学校の授業は、今日までまったく意味がなかった」と訴えられた。学生からすると、体系づけられたプログラムになっていないので満足できず、新しく学ぶこともあまりなかったという。その一件を通じ、馬渡さんは一人の教員任せだったことを反省。マンガ家の実績に加え、日本・海外両方の教育経験の豊富な教員を新たに迎えプログラムの充実を図るなど、トラブルが起きる度に対応していった。
2年目にはやっと募集以上の人が集まり、学生がぐんと増えた。すると少人数のスタッフでは手が回らなくなり、情報共有も難しくなった。さらに公共施設だった建物のビル管理が急遽縮小することになり、掃除やレセプションの対応も学校側の運営になる。そのため業務はますます増えて、問い合わせの電話にも対応できないほどになっていった。留守電の回答も遅れがちで、このままでは学校のイメージダウンになりかねない。ついに業務不全がピークに達し、疲れきったメンバーから改善要求があったのは2018年2月の頃だった。
「皆、ピリピリして、何とかしてほしいという課題があがってきました。それでもすぐには100%すべてを解決することはできないから、優先順位をつけて進めるための全体会議をしようと。まずはそれぞれ問題と感じていることを挙げ、そこに解決策もつけてExcelなどで出してほしいと提案したのです」
馬渡さんは出てきた課題を重要度別に分けると、至急要件から縦軸に書き出し、横軸に理由と解決案を提示するマトリクス表を作成。それによって混乱していた現場の問題が整理され、妥協点も見えてきた。それをもって、全体会議で話し合ったところ、感情的になっていたスタッフも落ち着いて業務に向き合えるようになった。馬渡さんも部下との関わり方を見直す機会になったという。
「もっと皆に任せていいんだと気づきました。集まった意見の中には、社長である私が細部に入り過ぎているという不満もあって。私は1から10まで『あれをして、これをして』と細かく言っていたのですが、そのスタンスは変えた方が良さそうだなと。もともと自分が納得しないと先へ進めないタイプで。特にフランスは一人で情報を集めて、その中で間違いのない判断しなければいけない状況からのスタートだったから、主観に偏らないように、ちゃんと説明材料をそろえて回答しなければいけないと思っていたんですね。何事も用意周到なところがあったけれど、部下にとってはそれが窮屈だったようで」
半年に一度見直す“あるシート”
馬渡さんは2021年1月に日本へ帰国。その後はフランスはじめ、中国、カナダ、タイ、インドネシアなど海外法人を取りまとめ、後方支援にまわることになった。フランスの学校も6年間の運営で黒字化し、現地スタッフに任せられるようになったことで、自分はまた新たな業務に挑戦したいと考えていた。そこで書き直したのが「SELFingシート」だという。
ヒューマングループは、経営理念に「SELFing(セルフィング)」を掲げ、すべてのステークホルダーへの提供価値と定義。社員一人ひとりにも「SELFing」を推奨しているという。「SELFing」とは、「なりたい自分」を明確にし、実現していくためのプロセスのこと。プロセスの中では、メジャーリーガーの大谷翔平選手が、高校1年生の時に「8球団からドラフト1位指名を得る」という夢を叶えるために書いていた「マンダラシート」を基に作られた「SELFingシート」も活用する。「人生目標」と「3年後の自分(キャリアプラン)」を書き出し、それをもとに半期に一度、上司と一対一でのセッションを行うのだそうだ。
世界中どこにいても「日本のマンガ」を学べる世界に
馬渡さんが今年2月に書いたSELFingシートには、フランスで過ごした6年間の経験が反映されているという。
「フランスでは有休消化や長期の休暇を取ることが欠かせず、スタッフに残業させずに業務を進めてもらう必要があるので、そのあたりのマネジメントにはかなり気を配っていました。そういう環境にいたからか、私も友だちと食事をしたり、旅行を楽しんだり、自分のために時間を使うことを自然と大切にできるようになった。自分自身のライフワークもすごく意識するようになりましたね」
6年間の赴任で最も嬉しかったのは、「フランスに学校を作ってくれてありがとう」と学生から言われたこと。一年目は人数が集まらず、カリキュラムへのクレームにも苦労したが、2期生の男子学生から感謝の言葉をもらえたのだ。
フランスでの経験を糧に馬渡さんが描く次の目標は、海外向けにオンラインのマンガスクールを作ること。世界中どこにいても、日本の漫画を愛する人たちが自由に、好きに漫画を学べる機会を広げたいと夢見ている。