ポイントは家庭で感謝されず、評価されないママの拠り所

「ママたちの多くは『ポイント制度なんて本末転倒だ』とか、『スリム化の障壁だ』とか、そんな正論はどーでもいいの。ミミちゃんママは『私みたいなジコチューな人間は、ポイントなるべく効率よくゲットして、次は何? って感じ?』って言うわけよ」

「そんな感じかもなぁ」

岡田憲治『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版)
岡田憲治『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版)

「でもね、『ポイントカード見てると、ああ、私頑張ったんだなぁって』って思えるんだって。ポイントって、『頑張った私の自分を褒めてあげるための記録』なんだよ」

でも、どうして自分を褒めるのか?

「ママたち、とくに専業ママたちはね、毎日終わりのない家事をやって、育児もおっつけられて、じゃあ誰かに感謝されてるかって言えば、そんなふうに思えないまま毎日が過ぎていくの。だから、ポイントって、ただの要領目的のものでもないし、ボランティアの大切さをわかっていないわけじゃなくて、自分を慰めるためのものなんだよ。きっと」

家族への貢献は、稼いだ額に比例しない。「誰のおかげで飯を食えると思ってるんだ!」で話を終わらせた自分の父親たちに辟易してきた。一緒に暮らす人間が「その人にとっての切実さの基準」で苦労してギビングしてくれたら、「ありがたい」と伝えるべきだと僕は思う。

「そう思っているママたちは少なからずいると思うよ」とツレアイは教えてくれた。

「誰も褒めてくれないから、ポイントカード見て、私頑張ってんじゃんって思う」

なんとも切ない。

「頑張ってるね」と言われたくて

ポイントカードは、ボランティアの基本を置き忘れた本末転倒システムであり、同時に「頑張っているのに、とくに感謝もされない、するのが当然だと思われている自分を褒めるためのレコード」だった。頑張りの可視化システムだ。

ちゃんとやっている人は、「頑張れ」とあまり言われたくない。なぜなら「もうとっくに頑張っている」からだ。言われたいのは「頑張ってるね」だ。

なるほどと感じ入り、ポイント制度をめぐる話は本当にいろいろだと思い返して、やはりこの問題は「有益なる放置」なのかとため息をついた。

「自分は何者でもない。でも、一生懸命頑張った。それは自分を支えるものの一つだ」

そう考えて生きているのは、ミミちゃんママのようなアラフォーの人たちだけではない。この地で、何十年も前にそれをやり始め、そして今もやっている人たちがたくさんいるのだ。

岡田 憲治(おかだ・けんじ)
政治学者

1962年東京都生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。専修大学法学部教授。民主主義の社会的諸条件に注目し、現代日本の言語・教育・スポーツ等をめぐる状況に関心を持つ。著書に『なぜリベラルは敗け続けるのか』(集英社インターナショナル)、『ええ、政治ですが、それが何か?』(明石書店)などがある。