ケニアで出合ったバラに一目ぼれ
アメリカの大学で国際関係を学び、アフリカの貧困問題(※1)に強い関心をもった萩生田愛さんは、いつかアフリカに関わり、問題を解決する側の人間になりたいと思っていた。
卒業後、帰国して日本の大手製薬会社に就職。そこでWHOと関わるプロジェクトを通して、心に秘めていたアフリカへの情熱が再燃した。
(※1)アフリカの貧困問題:世界銀行が定義する国際貧困ラインは、1日当たり1.90ドル以下で暮らす層であり、2015年では世界人口の10%がこれにあたる。そのうち半数以上が、アフリカのサハラ砂漠以南地域で生活しており、この地域の貧困率は、2015年時点で41.1%に上る(出典:世界銀行「国際貧困ラインに基づく地域別貧困率(2015年)」)
「寝ても覚めてもアフリカのことが頭を離れず、7年勤めた会社を辞め、ケニアに行きました。NGOのボランティアとして貧困地域で学校建設に携わったのですが、箱ができても親に仕事がないと子どもは学校に通えません。現地の人たちは海外からの援助に慣れてしまっており、援助だけでは貧困問題は解決できない現実に直面しました。自分は何のためにキャリアを放り出し、恋人と別れてまでアフリカに来たのか……と、悶々とする日々でした」
無力感に悩み続けていたある日、ナイロビの街角でこれまで見たことがない赤やオレンジのグラデーションやマーブルの大きな花が目に留まった。
「店の人に聞いたら『バラだよ、見たことないの?』と言われて、驚きました。部屋に飾り、その後、仕事で地方に行ったため3週間ぐらい放置したのですが、生命力が強く、アパートに戻ったら枯れずに美しいまま咲いていたんです。『見て! すばらしいバラでしょう』と、日本の家族や友人に見せてあげたくなりました」
ケニアは赤道直下で日照時間が長く標高も高いためバラの栽培に適している。アフリカのバラの輸出先は主にヨーロッパで、日本へはほとんど輸出されていなかった。さらに調べてみると、バラ農園の労働者のほとんどが女性だということもわかった。
「このバラをフェアトレードで売ればケニアの女性たちを応援できる。彼女たちにはきちんとした報酬を、日本の女性には美しいアフリカのバラを提供しよう、これなら“ウィン・ウィン”で、私ができることはコレだ! と、夢中になりました」