認められたければ人を助けよ
どんな人の人生でも起伏があると考えれば、自己実現的人間も、自分を見失いそうな、自信喪失するような危機に遭遇し、承認欲求が満たされないこともあったにちがいない。
そんな時、彼らも、やはり誰かの役に立つことをしたのではないか。マズローの示した5つの階層を上ったり、下りたりしてバランスを調整しながら、ありのままを受け入れる力を強化していった。人を幸せにすれば人から評価され、社会を幸せにすれば社会から評価される。才能や能力は、そうやって引き出されていくのだ。
自己受容ができている人は過去の人生に肯定的な気持ちを持っている。一方で、自己受容できていない人は、常に自分に不満を感じ、過去の人生に失望している。
もし、読者の中で過去の人生に失望しているという方は、「ああすればよかったのでは?」と過去のシナリオを描いてみよう。そして、誰かの役に立つことを無心でやってみよう。そうすればマイナスがプラスに転じ、「私」の可能性は無限に広がっていく。そう私は信じている。
そこそこの「私」がいい
アリストテレスは、人間が快楽主義や禁欲主義といった極端な行動に走りがちで、名誉を求めるあまり無謀になる側面がある一方で、逆に過度に臆病になったりすることもあるとし、「中庸 the golden mean」を習慣化する大切さを説いた。中庸とは、偏りがなく、調和が取れた状態のことだ。無謀になりすぎてもいけないし、臆病になりすぎてもいけない。「そこそこ」がいい。
そこそこ──。
この感覚は自己受容に大いに役立つ。そこそこ強ければいいし、そこそこ弱くてもいい。そこそこ欲深くていいし、そこそこ無欲でもいい。そこそこ自分勝手でいいし、そこそこ思いやりを持てばいい。
恐れること、自信を持つこと、欲望を感ずること、怒ること、憐れむことは人間の自然な感情だが、これらの感情もしかるべき時に、しかるべき事柄について、しかるべき人に対して、しかるべき目的のために抱くならば、それも人間くささといえるだろう。
つまるところ、自分の内部から生じる種々の情緒、衝動(怒り、攻撃性、恐れ、欲求不満、性的衝動等)に振り回されずに制御するには、自己受容が必要であり、その覚悟と勇気が「自分らしさ」への最初の一歩になるのだ。