性犯罪の被害者を責めてしまう「公正世界仮説」とは
日本人だけが比率が高いことの明確な理由は不明ですが、「公正世界仮説」という心理メカニズムが作用している可能性が高いと言われています。
公正世界仮説というのは、「社会は本来、安全で公正なものであるべきだ」という認知バイアスのことを指します。この価値観が強すぎると、想定外の悪い事態が発生した際、「そんなはずはない」と考えてしまい、被害を受けた人が過去に悪いことをしたに違いないと考える傾向が強くなります。
日本では通り魔事件の被害に遭った人が、逆に「深夜に出歩く方が悪い」と非難されるケースがありますが、これは公正世界仮説のメカニズムで説明できます。同様に日本では性犯罪が発生すると、加害者ではなく被害者が批判されることも少なくありません。日本社会は安全であるという「神話」が崩れることに耐えられず、被害者に問題があるという歪んだ形で自身を納得させようとするわけです。
神話が崩れた時、精神的にどのような作用がもたらされるのかは人によって異なるはずですが、日本ではたいていの場合「誰かが悪い」という話になります。他人の足を引っ張る、不寛容な社会という特徴が顕著に表れています。
自己責任社会の米国でさえ生活困窮者向け支援は日本より充実
もし、こうした感情が日本における自己責任論の背景なのだとすると、それはもはや経済活動における自己責任論とはまるで異なる概念と言わざるを得ません。
不可抗力や権利を有する事柄についてまで自己責任の用語を使うことについては、社会的にしっかりと抑制していかなければ、弱者へのバッシングにつながりかねません。そして生活保護の領域ではこの問題がかなり深刻化しています。
生活保護の申請は国民が持つ権利ですが、現実には「住所がないから申請できない」など不当な理由で追い返されるケースが後を絶ちません。
申請者の親族に対して援助できるか問い合わせを行う扶養照会も、申請を諦めさせる手段として多用されています(生活保護申請者が親族から虐待を受けている可能性もあるため、扶養照会は重大な人権侵害を引き起こす可能性があり、先進諸外国ではほとんど行われていません)。
生活が困窮したのはすべて本人の責任であり、支援する必要はないという考え方になりますが、これは明らかにダブルスタンダードといってよいでしょう。
生命が脅かされる危険な状態であっても、経済活動の結果について、すべて自身が責任を負うべきだという概念がコンセンサスを得ているのなら、政府が行ったコロナ関連の支援策は全否定されるべきですが、現実はそうではありません。
すべてが自己責任ならば、企業にリストラされるのも自己責任なので公的な失業保険も不要となります。米国のように年金や医療も民営にしてしまえばよいでしょう。ちなみに、自己責任社会の頂点に立つ米国ですら、生活困窮者向けには公的な医療制度や年金制度などが整備されていますし、今の日本で年金と医療を民営化してしまったら、保険料は跳ね上がり、多くの国民が満足な医療を受けられなくなるでしょう。