人にはそれぞれ大切にしているものがある

「まだ父親の姓を継ぐ人がほとんどではあるんだよね。母親の姓を継いだら、何か特別な事情があると思われるでしょうね。説明したり訂正したり、確認することが増えるだろうな」
キム・ジヨン氏の言葉に、チョン・デヒョン氏は大きくうなずいた。自分の手で「いいえ」の欄に印をつけるキム・ジヨン氏の心情はどことなく虚しかった。
(『82年生まれ、キム・ジヨン』)

この時のキム・ジヨンの気持ちを、まるで自分のことだと思った日本女性はいるだろう。日本の婚姻届には、結婚後の姓を書く欄がある。日本の場合は法的な体裁は韓国よりもさらに男女平等になっている。しかし今も夫の姓を選ぶ人が大多数である。自分が改姓することを選んだ時の虚しさや屈辱感で、その夜は一晩中泣いたという人もいるし、そこから夫婦間の関係が悪くなったという人もいる。さらに韓国とは違い日本では、その先に改姓による面倒な手続きも待っている。

冨久岡ナヲ、斎藤淳子、伊東順子ほか『夫婦別姓――家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)
冨久岡ナヲ、斎藤淳子、伊東順子ほか『夫婦別姓 家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)

私自身は自分の名前を失った屈辱に耐えきれず、その後にペーパー離婚して自分の姓を取り戻した。同じ頃、自民党の野田聖子議員が夫婦別姓で事実婚を選択していることが報道されていた。彼女が「野田の姓」にこだわる理由は私とは違うものだったが、逆にものすごく納得した記憶がある。

人にはそれぞれ大切にしているものがあるのだから。

逆に韓国で国際結婚した日本人の中には、わざわざ日本で婚姻届を先に出して、韓国の夫の姓に変えた人もいる。

「もともと日本の姓が嫌いだったんです。夫のユンという姓の方が可愛いから」

そういうこともあるだろう。

変わりつつある韓国の制度

当たり前のことだが、そんな個人的な選択を、四半世紀たった今も日本社会は許容できないでいる。「伝統」とか「家族の絆」とか。これまで見てきた韓国の家族法も全く同じだった。誰の得にもならないこだわりで、ずっと誰かを苦しめてきた。

韓国では今年5月末、女性家族省から新たな家族政策の骨子を盛り込んだ「第4次健康家庭基本計画」が発表された。それにともない、原則的に子どもが父親の姓を継ぐ「父姓優先主義」をとる現行法に対し、2025年までに夫婦の協議により母親の姓を継がせられる等、民法の改正案が提出されている。

さらに、この改姓では子どもの姓の問題だけではなく、新しく事実婚夫婦の権利の拡大など「法的な家族」の範囲を広げることなども検討されている。

伊東 順子(いとう・じゅんこ)
ライター、翻訳業

愛知県生まれ。1990年に訪韓。ソウルで翻訳・編集プロダクション運営。2017年に「韓国を語らい・味わい・楽しむ雑誌『中くらいの友だち 韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『夫婦別姓 家族と多様性の各国事情』(共著、ちくま新書)、『韓国 現地からの報告 セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)など。2022年1月17日に最新刊『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)刊行。