※本稿は、冨久岡ナヲ、斎藤淳子、伊東順子ほか『夫婦別姓 家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。
2000年代の「戸主制度廃止」の盛り上がり
2000年代に入って、韓国社会のムードは一挙に変わった。日本と共同開催された2002年のサッカーW杯の頃から街も人々もスタイリッシュになり、外見的な変化は人々の内面も刺激した。もっと自由に、もっと素敵に。ライフスタイルは変化し、多様性は社会のトレンドになっていった。そんな社会の変化を女性たちが牽引していた。
政治もまた女性たちを後押ししていた。1998年に発足した金大中政権は女性省を設置し、初代長官には長く女性運動をリードしてきた韓明淑が就任した。また2002年に次期大統領候補となった盧武鉉は「戸主制度廃止」を公約に掲げて当選した。
「戸主制度」とは、戦前の日本統治下に日本から移植された戸籍制度の名残で、一家の家長に「戸主」という身分を与えたものだ。1989年の法改正で、戸主の権利義務は大きく削減されたが、「戸主」というポジションは残っており、それは男性に優先的に与えられた。結婚するときは、夫婦は別姓ではあるが、戸籍は男性の側に入籍する。戸主は夫であり、その横に別姓の妻、子どもたちは自動的に夫の姓となった。
この頃、「戸主制度廃止」に向かう韓国社会の熱気はすごかった。テレビは朝夜ともに未婚の母をテーマにした連続ドラマを放映し(『あなたはまだ夢を見ているのか』〈MBC、2003年〉、『黄色いハンカチ』〈KBS、2003年〉)、それら戸主制度をターゲットにしたドラマは大ヒットしたばかりではなく、数々のテレビ大賞を総なめにした。ちなみにこの少し前に韓国ではテレビ部門に「男女平等賞」(のちに両性平等賞)がもうけられ、男女平等を意識した番組が精力的に作られていた。
これらのドラマは「母性」を強調しすぎている感はあったが、一般大衆の共感を得るためには必要な妥協点だったと思う。戸主制度は女性にとって不利なだけでなく、すでに韓国社会全体にとって時代遅れで不都合な制度であることが自明だったからだ。