時代に合わなくなった区別は消える

「アラサー」は、これらの様々な区別が取り払われ、代わりに年齢が30歳前後か否かという区別にスポットが当てられるようになったことで存在している。そしてこれによって、価値観を共有する一群の人々の集団が持つ性質、すなわち「アラサー性」が存在させられることになった。

これは再び、区別の仕方、概念的な線引きの仕方を変えると、何が存在するかも変わる、ということの例になっている。「オールド・ミス」のような、時代に合わなくなった区別を前提する性質はもはや存在しない。2021年現在、誰かが「オールド・ミス」と形容されることがないのは、もはや「オールド・ミス性」が存在しないからである。代わりに現代では、別の区別に基づいた「アラサー」という性質が存在しており、「彼/彼女はアラサーである」という言い方がなされるようになっているのである。

最後にマーケティングということにもう一度引きつけておけば、「アラサー性」が存在するようになったことで、「アラサー性を持つ人々」をターゲットにした商品を開発することが可能になる。それはアラサー的なライフスタイルに合ったインテリアグッズかもしれないし、婚活支援のようなサービスかもしれない。このような的を絞った商品開発が可能になるのも、「アラサー」が概念的な区別を背景に存在している性質だからである。ある性質が存在すると見なすことは、世界をうまく切り分けて、視界を良好にしてくれるのである。

存在と区別の関係からの教訓

「ビジネスパーソン」と「アラサー」という二つの性質に関して、ある性質が存在することと、その性質を成り立たせる概念的区別の間に切っても切れない関係があることを確かめてきた。このことは、単に哲学的な興味深さを持つだけでなく、ビジネスにも役に立つはずだ。

川瀬和也『ヘーゲル哲学に学ぶ 考え抜く力』(光文社新書)
川瀬和也『ヘーゲル哲学に学ぶ 考え抜く力』(光文社新書)

存在論について学んだことがビジネスにおいて役立つのは、それが柔軟な発想を可能にしてくれるからである。二つの例について見たように、私たちが当たり前に存在すると考えている性質は、概念的区別によって初めて存在するようになったものである。例えば新商品や新企画を考案するとき、このことを知っておくことは重要だ。なぜなら、斬新なもの、これまでにない新奇なものを作り出すということは、全くの無から有を作り出すことではなく、世界の切り分け方、概念的区別の仕方を変えることだ、ということがわかるようになるからだ。

存在の裏には区別がある。新たなものを作り出すということは、区別の仕方を変えることである。本書でヘーゲル的な発想を学んだあなたは、このことをすでに知っている。そしてこれも、「考え抜く」ことの一つのあり方であろう。これを頭の片隅に置いておくことで可能になる柔軟な発想は、あなたの人生において武器になってくれるはずである。

川瀬 和也(かわせ・かずや)
宮崎公立大学准教授

1986年、宮崎県生まれ。2009年、東京大学文学部思想文化学科哲学専修課程卒業。2014年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専門はヘーゲル哲学、行為の哲学。東京大学大学総合教育研究センター特任研究員、徳島大学総合教育センター助教などを経て現職。日本ヘーゲル学会理事。著書に『全体論と一元論 ヘーゲル哲学体系の核心』(晃洋書房)、『ヘーゲルと現代思想』(同、共著)などがある。2017年、論文「ヘーゲル『大論理学』における絶対的理念と哲学の方法」(『哲学』第六十八号)にて日本哲学会若手研究者奨励賞受賞。