ビジネスパーソンにもリベラルアーツが必要だと言われますが、実際にどこで役に立つのかはわからない、という人も多いでしょう。新進気鋭の哲学者である川瀬和也さんは「『考え抜く力』は哲学の基本スキルであり、これからの時代に欠かせないビジネススキルでもある」といいます。本稿では、ドイツの大哲学者であるヘーゲルの「存在論」が、いかに現代のビジネスに役立つかを読み解きます――。

※本稿は、川瀬和也『ヘーゲル哲学に学ぶ 考え抜く力』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

白い箱を被ったビジネスマン
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存在論と分類

ヘーゲルによれば、何かが存在するということは、他のものと区別されているということである。個物であれば輪郭によって空間的に区別されることで、普遍者であれば他の性質と概念的に区別されることで存在する。これらのうち、特に重宝するのは後者の、概念的な区別という考え方である。

この考え方が役立つのは、「存在すること」と「分類すること」が表裏一体だと教えてくれるからである。例えば、色に詳しくない者には「ピンク」しか存在しないが、服飾デザイナーにとっては「サーモンピンク」や「コーラルピンク」が存在しない世界など考えることもできないだろう。「何が存在するか?」という問いの裏には、「私たちは何と何を区別しているのか?」という問いが存在するのだ。つまり、存在論の問いは、分類に関する問いと表裏一体なのである。

存在論についての知見が実践的に役立つ、と言われてもにわかには信じられなかったとしても、分類についての知見ならどうだろうか。私たちの日常生活においても、ビジネスにおいても、何かを分類することが重要な意義を持つ場面は少なくない。以下では、このことをマーケティングというビジネスの次元に引きつけながら敷衍ふえんしてみる。

存在論とマーケティング

存在することと区別されていることが表裏一体である、という知見は、マーケティングにおいても役立つだろう。例えばこの書籍のメインターゲットとなる想定読者は、自分の生き方、仕事の仕方を見つめ直してみたいと思っているビジネスパーソンである。ここで他と区別され、存在させられているものとは何だろうか。

答えは、「ビジネスパーソン」である。「ビジネスパーソンであること」は、「背が高い」「髪が長い」のような性質と同様に、人に帰属され得る性質だ。消しゴムが「白い」や「四角い」といった性質を持っていたように、人は「背が高い」や「ビジネスパーソンである」といった性質を持つ。この意味で、人が持っていたり持っていなかったりするような、「ビジネスパーソン性」と言うべき性質が存在する。

そして、「ビジネスパーソン性」の存在の背景には、ビジネスパーソン性と他の性質との間の概念的区別がある。「ビジネスパーソン」は、例えば「研究者」から区別されている(研究者も研究というビジネスに従事するパーソンではあるのだが、少なくとも「ビジネスパーソン」概念の中心に研究者はいないだろう)。研究者以外にも、「学生」「リタイア世代の人」「小さな子ども」「専業主夫/婦」などとも、「ビジネスパーソン」は区別されている。

「ビジネスパーソンをこの本の想定読者にする」ということは、この本を研究者にしかわからないような研究書にはしない、ということであり、さらには、哲学を学ぶ学生だけを対象とした教科書や、普段から哲学書に親しんでいる一般読者だけが読むような本にもしないようにするということだ。もちろん本書は研究者や学生、哲学愛好家の皆さんにも楽しんでいただける本だと自負しているが、具体例の選択などにおいては「ビジネスパーソン」の日常になるべく引きつけるようにしている(だからこそここでも「マーケティング」を例にしている)。

話が少し脱線したが、かくして「ビジネスパーソン」は、他と概念的に区別されることで存在し始める。そして、いちど存在し始めれば、他との区別など忘れ去られ、この世界に「ビジネスパーソン」という種類の人々が存在するということは所与の事実のように扱われるようになる。

「アラサー」の存在論

もう一つ、マーケティングとも関わりの深い事例として、「アラサー」について考えてみたい。「アラウンド・サーティ」を略して作られた「アラサー」という言葉は2006年ごろから使われるようになり、それから10年以上を経た2020年代においても日常的に使われている。もともとは「30歳前後の女性」を指して使われるようになった言葉だが、時を経て男女問わず30歳前後の人を指して使われるようになっている。

存在ということに引きつけて言えば、2006年ごろから、「アラサー」という性質が存在し始め、少しずつ形を変えながら、現在でも存在し続けている。将来的に「アラサー」は死語となるかもしれないが、そのときはそれに伴って「アラサー」という性質も存在しなくなるということになる(あるいは未来の読者にとっては「アラサー」はすでに死語と感じられており、したがって「アラサー」という性質ももはや存在しなくなっているかもしれない)。

「アラサー」が存在するようになったということは、「アラサー」が他の何かから区別されたということである。では、「アラサー」は何と区別されているのだろうか。もちろんそれは、30歳前後以外の人である。何歳から何歳が「アラサー」であるのかという議論をここで展開するつもりはないが、少なくとも40代前半や10代後半の人は「アラサー」ではない。

顧客セグメンテーションを表すイメージ
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22歳と27歳の価値観の違い

「アラサー」の面白いところは、それまでと人の分類の仕方を変更することで成立している点だ。例えばこれまでも、「20代」や「30代」という分け方によって人が分類されてきた。しかし、22歳の人と27歳の人では、同じ20代でも価値観が大きく異なることがある。同じ5歳差でも、27歳と32歳の二人の方が、価値観が近い場合も多いだろう。20代や30代という、年齢の十の位に注目した機械的な区分に基づいた性質によっては、このことをうまく捉えられない。しかし、「アラサー」という言葉があることで、27歳の人と32歳の人が持っていて、22歳の人が持っていないような性質を取り出すことができるようになる。

また、著述家としても活躍する辞書編纂者、飯間浩明は、「アラサー」という言葉と「年増」や「オールド・ミス」、「ハイ・ミス」といった、差別的なニュアンスを伴って特定の年齢層の女性を指すために使われた言葉とのつながりを指摘している。これらと「アラサー」の関係は確かに興味深い。

このほかに、これに似た言葉として、「ミッシー」や「ヤング・ミセス」という言葉もかつてはしばしば使われていた。「アラサー」という言葉は、これらの言葉に色濃く反映されていた既婚か未婚かによる区別を重視する風潮を打ち砕いて、年齢による大掴みな区別を可能にした。さらにこの言葉は、始めは女性を指して使われていたにしても、現在の使われ方に照らして考えれば、男性か女性かによって人々を区別することをやめさせる潜在的な力をも持っていたと言えるだろう。

時代に合わなくなった区別は消える

「アラサー」は、これらの様々な区別が取り払われ、代わりに年齢が30歳前後か否かという区別にスポットが当てられるようになったことで存在している。そしてこれによって、価値観を共有する一群の人々の集団が持つ性質、すなわち「アラサー性」が存在させられることになった。

これは再び、区別の仕方、概念的な線引きの仕方を変えると、何が存在するかも変わる、ということの例になっている。「オールド・ミス」のような、時代に合わなくなった区別を前提する性質はもはや存在しない。2021年現在、誰かが「オールド・ミス」と形容されることがないのは、もはや「オールド・ミス性」が存在しないからである。代わりに現代では、別の区別に基づいた「アラサー」という性質が存在しており、「彼/彼女はアラサーである」という言い方がなされるようになっているのである。

最後にマーケティングということにもう一度引きつけておけば、「アラサー性」が存在するようになったことで、「アラサー性を持つ人々」をターゲットにした商品を開発することが可能になる。それはアラサー的なライフスタイルに合ったインテリアグッズかもしれないし、婚活支援のようなサービスかもしれない。このような的を絞った商品開発が可能になるのも、「アラサー」が概念的な区別を背景に存在している性質だからである。ある性質が存在すると見なすことは、世界をうまく切り分けて、視界を良好にしてくれるのである。

存在と区別の関係からの教訓

「ビジネスパーソン」と「アラサー」という二つの性質に関して、ある性質が存在することと、その性質を成り立たせる概念的区別の間に切っても切れない関係があることを確かめてきた。このことは、単に哲学的な興味深さを持つだけでなく、ビジネスにも役に立つはずだ。

川瀬和也『ヘーゲル哲学に学ぶ 考え抜く力』(光文社新書)
川瀬和也『ヘーゲル哲学に学ぶ 考え抜く力』(光文社新書)

存在論について学んだことがビジネスにおいて役立つのは、それが柔軟な発想を可能にしてくれるからである。二つの例について見たように、私たちが当たり前に存在すると考えている性質は、概念的区別によって初めて存在するようになったものである。例えば新商品や新企画を考案するとき、このことを知っておくことは重要だ。なぜなら、斬新なもの、これまでにない新奇なものを作り出すということは、全くの無から有を作り出すことではなく、世界の切り分け方、概念的区別の仕方を変えることだ、ということがわかるようになるからだ。

存在の裏には区別がある。新たなものを作り出すということは、区別の仕方を変えることである。本書でヘーゲル的な発想を学んだあなたは、このことをすでに知っている。そしてこれも、「考え抜く」ことの一つのあり方であろう。これを頭の片隅に置いておくことで可能になる柔軟な発想は、あなたの人生において武器になってくれるはずである。