「中の人」たちが身につまされながら見た
熱中症で玄関先に倒れ込んだ寛を助けた優は、寛の息子で報道番組『フロンティアニュース』の総合プロデューサーであるテレビ局の報道マン・和田秀平(佐々木蔵之介)と鉢合わせ。実は秀平は、27年前に取材中の事故で他界した優の母・りえ(小池栄子)の再婚相手で、優は秀平の男手一つで育てられたものの、このところお互い仕事も忙しく父子は疎遠になっていた。
優は数年ぶりに義父・秀平と、そしておよそ20年ぶりに血の繋がらない祖父・寛との再会を果たしたわけだが、寛を1人にしてはおけないと判断した秀平のアイデアで3世代の男たちが同居する羽目に。やがて優はネットニュース記者としての就職先を見つけ、「マスコミ3世代一家」となった和田家の男たちによる令和の家族の姿が描かれていく。
脚本は大石静。さすがの巧みなプランで、筆者の周りの「マスコミ界女子」たちも毎週かじりついて見ては、業界構造や世代ギャップや社内政治や恋愛、いろいろ身につまされていたようだ。ネット側でもの書きを続け、紙や電波にもお邪魔することのある私は、和田家の3世代家族を見ながら、新聞・TV・ネットという3媒体の栄枯盛衰と共闘という的確な描かれ方に、感心しきりだった。
紙と電波のデジタルシフト
大手新聞社が大新聞と仰がれて「ペンは剣よりも強し」を体現していた時代や、雑誌の勢いと華やかさに憧れの視線が向けられた時代、テレビの派手さと圧倒的な強さに世間の関心が根こそぎさらわれた時代など、長らくマスコミは学生の憧れの業界ランキングでトップにあった。けれど今、マスコミ業界は広告減少と読者・視聴者離れでダウンスパイラル。
それは「より安く、よりパーソナルでより俗的な欲望に直接リーチできるネットの出現のせい」とされたけれど、ネットでデビューしてネットで20年書き続け「すっかり魂が汚れている」私すら、同感だ。
2000年前後からはまず「紙」、そして10年ほど遅れて「電波」の痩せ細り方が激しく、2010年代の彼らは勢いをつけたネットに「オールドメディア」と一蹴され、口の悪い層からは「マスゴミ」と罵倒された。新聞は発行部数が目に見えて落ち、雑誌は廃刊・休刊が相次いだ。テレビは明白に予算規模がシュリンクして、安く作れるけれど視聴率を稼げそうな番組を量産するスタイルへ。
新聞雑誌、テレビは広告出稿額が大きいため、経営苦境にあった企業はより小さなポーションでよりユーザーへダイレクトに訴求できるネット広告へシフトしていった。逃げた広告を追って、企業からの広告料で利益を出す広告モデルである紙も電波もデジタルシフトを図り、人材はネットに流れる。ところが、そもそも「安い広告料」をぶら下げて出稿してもらうネットメディアでは、低予算と少ない(かつ安い=若い=技術が低い)人材で規模の小さな報道や発信しかできず、広告モデルのネットメディアではコピペ記事やフェイクに近いニュースを量産して炎上を煽り、質の悪いページビューをひたすら稼ぐという、報道のクオリティ低下の問題が顕著になった。