孫とともに2号店に立つ

一緒に薬局を経営する家族とも、うまく関係を築いてきている。

実を言うと、榮子さんの長男は、2号店に当たるこの小豆沢店をオープンした直後、脳溢血で倒れている。集中治療室で1カ月にわたる治療を受け、なんとか一命はとりとめたものの、以来、池袋にある本店の階上の自宅で寝たきりの生活を送っている。倒れたとき、ふたりの息子(榮子さんの孫)は、まだ中学生だった。

孫の康二郎さんと。
撮影=市来朋久
孫の康二郎さんと。

そもそも榮子さんは本店の仕事をしていたが、長男が倒れてしばらく経った後、小豆沢店を担当するようになり、本店は長男の妻の公子さんが見ることになった。心理的な葛藤を引き起こしそうなシチュエーションではある。

「公子とはたまに行ったり来たりはしていたんだけど、ある日、孫たちが学校から帰ってきて、ただいまーって言うのを聞いて、ああ、私が本店にいちゃいけないんだなって思ったんです」

どういう意味だろう?

「だって普通だったら、ただいまーの後、お母さんは? って聞くでしょう」

その一言がないことに気がついて、榮子さんは本店と支店を入れ替わることにした。それも面と向かって相談をして取り決めたことではなく、自然にそうなっていったのだという。

「公子と孫の健太郎が本店を見て、康二郎が私とこっちにいますけれど、あんたあっちに行きなさい、こっちに行きなさいって言ったことはないんです。相談してどうこうってことじゃなくて、うちは自然にこんなふうになってますね。思えば、何かにつけて強く主張をするようなことはしてこなかったですね」

応援したくなるおばあちゃん

一緒に仕事をしている康二郎さんは、榮子さんのことをどんな人物だと思っているのだろうか。

「家族の応援がなかったら、さすがにこの年まではやってこられなかったと思います。じゃあ、なぜ応援したくなるのかといったら、おばあちゃんの、死ぬまで仕事をしたいという軸がまったくブレないからだと思います」

比留間榮子さん
撮影=市来朋久

なぜ、死ぬまで仕事をしたいのか。榮子さんの人生観が聞きたい。

「人生観なんて……あんまり深く考えてない(笑)。ただ毎日毎日をこうやって過ごせることが一番幸せじゃないですか。何か、出来事があって暮らしているほど恐ろしいことはないですからね」

「出来事があって暮らしている」というのは、不自然な言い回しだと思った。しかし、後になって、「出来事」が「戦争」を意味するのではないかと気づいたとき、榮子さんが大切に守り続けてきたものがはっきりと見えた気がした。

山田 清機(やまだ・せいき)
ノンフィクションライター

1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。