「働く意味」を問い続けた先にあったもの
4人の子どもたちは大きく成長し、末っ子の長男も今年から小学校へ。足かけ18年の保育園生活が終わり、ホッとしているという御厨さん。育児と仕事の両立は厳しかったが、「子どもがあっての仕事、仕事があっての育児」でもあったと懐かしむ。その渦中で「働く意味」もたえず問い続けてきたという。
実は長女が小学校へ入ったときのこと、「どうしてみんなのお母さんは家にいるのに、うちのママは遅くまで帰ってこないの?」と泣かれたことがあった。朝になると自家中毒を起こして熱を出し、学校を休む日が続く。母として精神的にまいり、子どもにいろんなトラブルが起きる度に「私が働く意味は何だろう」と自問自答が続いた。
その先にたどりついたのは「子どもに自慢できる仕事をしよう。楽しそうに育児も仕事もする姿を見せることが、私の働く意味だ」という思いだった。
「娘たちも母親が働くことを受け入れてくれるようになりました。長女が5年生のとき、将来の設計図を書くという授業があったのです。すると長女は〈小林製薬に入社して、30代で部長になり、40代で親の介護をする〉と書いていて、私も60歳そこそこで介護されるなんてと驚きましたけど」
娘たちにはよく「仕事は楽しい?」と聞かれる。その度に、母は「めちゃくちゃ楽しいで!」と明るく答える。御厨さんにとっては、今も子どもたちの存在が仕事に励む原動力になっているようだ。
1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。