主婦が主流だった時代の習慣が仕事を持つ女性を苦しめる

令和を生きる人たちが手作り料理に幻想を抱く要因は、昭和の暮らしにあった。高度経済成長期、日本で日替わりの手作り料理がスタンダードになった。主婦が既婚女性の主流になった時代である。この頃は、食材の選択肢が豊富になり、家電が普及し台所が板の間になった台所革命期とも言うべき時代で、新しい生活様式にふさわしいレシピと料理に対する心構えを、主婦雑誌など料理メディアが盛んに紹介していた。

その前の時代は既婚女性も仕事で忙しく、食卓には手作りだが常備菜や漬物といったつくりおきが組み込まれていた。作りたての料理だけがデフォルトではなかったのである。

高度経済成長期の一時期にできた習慣がデフォルトとされているものは多いが、それは食卓も同様である。主婦業に専念できる女性たちが採り入れた、日替わり手作り献立がやがて当たり前になったことが、外で仕事を持つ女性たちを苦しめ続けているのだ。

総菜をそのまま出すかどうかは家族で決めること

母親が専業主婦だった、という人は男女ともに今でも多い。専業主婦が主流だった昭和育ちはもちろんのこと、平成育ちの人たちでも多いのは、つい最近まで子育てと仕事の両立が難しく、母親になったのはキャリアを中断した人たちが中心だったからである。

しかし、現在は子育て世代でも共働きが主流。フルタイムで働いて帰ってきて、それからまた家事をするダブルワークに疲れている人は多い。また、仕事を持つ持たないにかかわらず、台所の担い手に交代要員がいないとすれば、それは365日休みなしのブラックワークと言える。台所の担い手にとって、家庭がブラック職場だとすれば、疲れ切ってやる気を失うことがあるのは当然だ。

総菜について誰かが不満を言ったときは、家族がきちんと向き合うチャンスである。なぜ総菜を買うのか。ふだんどのぐらい家事に疲れているのかを、ちゃんと聞いてもらおう。あるいは、仕事の負担がかかっていて家事に手が回らないことを。

もしかすると、パートナーも仕事で疲れることがあり、いつも以上にストレスが大きくなっているのかもしれない。その愚痴を聞いてあげることも必要だろう。互いの大変さを語り合い、どのようにすれば支え合えるのか改めて見直す。ケンカも議論も、互いをよく知り大切にするためのプロセスである。そういう場面でこそ、よりよいパートナーシップが育つのではないだろうか。

阿古 真理(あこ・まり)
生活史研究家

1968年生まれ。兵庫県出身。くらし文化研究所主宰。食のトレンドと生活史、ジェンダー、写真などのジャンルで執筆。著書に『母と娘はなぜ対立するのか』『昭和育ちのおいしい記憶』『昭和の洋食 平成のカフェ飯』『「和食」って何?』(以上、筑摩書房)、『小林カツ代と栗原はるみ』『料理は女の義務ですか』(以上、新潮社)、『パクチーとアジア飯』(中央公論新社)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版)、『平成・令和食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(幻冬舎)などがある。