5年間担当した男性が他界
晴れてケアマネジャーになっても、ヘルパーの仕事は変わらず続けた。千福さんに頼みたいという人も多いのだ。中には5年越しで、ほとんど毎日通い続けた男性の家もあった。
「とても優秀で出世街道を歩いてこられた方。奥さんの介護を7年されていたそうです。奥さんを看取ってしばらくすると、やかんの空焚きなどが出てきたので、一人暮らしを案じる娘さんに頼まれて一日何時間も入っていました」
最初は介護度も低く、要支援1だった。何事もゆったりして、きれい好きな人なので入浴も一時間ほどかかる。千福さんは身の回りの世話をして、話し相手になった。だが、男性は胃のポリープが悪化して入院。退院後は要介護度4、5とどんどん進んでいく。
「その方は『ワシがもう何もわからんようになったら、ずっと傍に居ててや。頼むぞ』と言っていらした。ところが、あれよという間に衰弱されて、92歳で亡くなられました。今年7月2日、ちょうど丸5年になる日でした」
もう、怖いものはない
家族のように寄り添ってきた人との別れは辛い。夫に先立たれてから一人暮らしの千福さん、近頃は親族や知人の訃報も続く。時にはふと気弱になることもあるだろう。
「くじけそうになったときは、『山よりでかい獅子は出ない』と自分に言い聞かせます。人生にはいろんなことが起きるけれど、大きい獅子が出て命まで取りに来ることはないと。そう思えばもう、怖いもんはないですよ」
今日を何とか生きれば、また明日が来る。そんな気持ちで過ごしてきたという千福さんは、この秋87歳になる。数えで88歳、米寿のお祝いだ。100歳まで現役
「私はその時その時、自分に合った仕事を与えてもらっている。だから、流れのままに生きる人生ですね。逆らわず、かといって流されるわけでもなく、その時々の流れにのって生きてきたら、この仕事にたどり着いたという感じなんです」
訪問先へ顔を出すと、「ああ、待ってたんや」と喜んでもらえるのが何より嬉しい。現在も週3日はヘルパーとして勤務している。毎日の楽しみは晩酌に日本酒を飲むこと。最近はフェイスブックも始め、毎日更新している。日々の出来事や失敗談をユーモラスに綴った投稿が人気だが、実は娘たちへの「安否確認」なのだとか。更新しない日があると、「お母ちゃん、生きてる?」とメールが来るそうだ。
健康には自信があった千福さんだが、一度だけ足を痛めて弱音を洩らしたことがある。すると嫁からステッキ傘が届き、それを使って歩いていたら、いつのまにか治っていた。「これは私まだまだいけるわ!」と思ったという千福さん。その笑顔を待ちわびる人たちのもとへ今も元気に通い続けている。
1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。