73歳でヘルパーの資格を取った千福幸子さんは、その後介護福祉士の資格をとり、80歳のときには、合格率が20%と難易度の高いケアマネジャーの資格を一発で取得する。スキルを上げて喜んでもらえると励みになる一方で、担当する要介護者の人が亡くなるなどつらい経験も多い。千福さんには、そんなとき必ず言い聞かせる言葉がある――。

まさかこの年で試験勉強をするとは……

「千福さん、介護福祉士の試験があんねんけど、ちょっと受けてみない?」

プラスワンケアサポート 千福幸子さん
プラスワンケアサポート 千福幸子さん(撮影=水野真澄)

ある日、プラスワンケアサポートの介護事業所へ行くと、事業所の管理者に声をかけられた。ヘルパーの仕事に就いて、まもなく3年になる頃だ。今までの実務があれば3年修了見込みで試験を受けられるという。千福さんは「そしたら受けましょか」と気安く答えたものの、翌日が応募の期限。慌てて申し込んだが、何から勉強していいのかわからない。そこで会社が主催する事前講座に参加した。

講座は毎週日曜の朝9時から夕方5時までみっちり続く。まさかこの歳で試験勉強するとは思いもよらず、受講生の中でも76歳の最年長だ。講座の初日、先生に「何か質問があったら用紙に書いてください」といわれた。

「この歳になると何でも覚えるのは大変なので、どうしたらいいかと聞いてみたんです。先生は『誰でも歳をとれば覚えられないのは事実。何べんでも繰り返し覚えるしか方法はありません』と。だから、『人の何倍も勉強してください』と言われました」

過去問がぼろぼろになるまでコツコツ勉強

過去の問題集をこなすようにといわれ、帰りに過去3年間分を購入。毎朝1時間、仕事の合間も図書館や公共施設で学生たちにまじってコツコツ勉強する。バスや電車の移動中も「過去問」を読み続け、すっかりぼろぼろになったという。

試験前日は鉛筆を削ってきれいに筆箱に並べ、「筆記用具、よし。受験票、よし」と確認。当日朝は仏壇に向かい、「お父ちゃん、頼みまっせ!」と手を合わせた。

「試験の日は楽しかったですよ。仲間と駅で待ち合わせて行きましたから、遠足みたいで嬉しくて」と、まるで女学生気分の千福さん。

実技試験の練習のため、毎日会社へ

筆記試験は無事終了。自宅で自己採点をすると、90点以上とれていた。待ちに待った合否の通知が届く日、ドキドキしながらポストをのぞくと、封書が入っている。開封すると「合格」だった。

ヘルパー研修や福祉用具研修でスキルをアップデートする。
写真提供=プラスワンケアサポート
ヘルパー研修や福祉用具研修でスキルをアップデートする。

次の日からは実技試験に向けて猛練習が続く。毎日、会社へ通っては、オムツ交換や身体介助などを練習し、スタッフにも「また今日も来たね」とあきれられるほど。自宅でも、ほうきに座布団を巻いたものを要介護者に見立て、大きな声で話しかける。実は苦戦したのがこの声かけだった。慣れない標準語で話そうとすると、どうしてもぎこちなくなる。長女に電話したら、「大阪弁丸出しでもいいから、お母ちゃんらしくがんばり!」と励ましてくれた。

本番当日はいつも通り緊張せず、楽しく受けられた。合格発表の日はスタッフがパソコンで確認し、携帯電話に連絡してくれることに。「もしもしおめでとう。番号あったよ!」と聞いて、ホッとする。76歳にして、介護福祉士の国家資格を一発で取得したのである。

いろんな人生を見せてもらっている

介護事業所のスタッフによると、何事も熱心に取り組み、挨拶や言葉遣い、時間厳守などきちんとした仕事ぶりへの信頼は厚い。千福さんを慕う利用者も多いという。初めは壁になっていた年齢も、むしろ強みになっているようだ。千福さんはいう。

千福さん
撮影=水野真澄

「高齢の方が昔の話をされると、今の若い人にはとてもわからない。でも、私は戦争体験や大阪大空襲の話とか、同じ体験者どうしで話せるんです。昔の軍歌を歌ってみたり、『あの日はそうでしたね』と思い出話に花を咲かせたり。同じ干支で気が合う利用者さんもいて、その方は昔ならお城のお姫さまというお家柄。私を『ばあや』と思っていらして、『ばあや、今日は泊まっていく日なの?』『二人でお昼寝しない?』と言われます。だから、私も添い寝するふりをして、その方が眠られたところでそっと帰らせてもらう……そんな日もありました(笑)」

一人ひとりにそれぞれの人生があり、いろんな人生を見せてもらっているのだと、千福さんは思う。ホームヘルパーはその人の生活の一部を支える仕事だが、限られた時間の中でも心がけていることがあった。

「とにかく相手の心に寄り添うこと。上手に食べさせる、おむつをうまく換えるとか、そういう技術じゃなく、本当にその人の心に寄り添うことですね。認知症の方は無茶なことを言われたり、暴れたりもするけれど、心の奥底では本当は自分のことをわかっている。そんなふうに私には見えるんです。何でこんな病気になったのかという苛立ちが、暴れたり、怒ったりすることにあらわれるのでしょう。だから、少々無理を言われても逆らわない。赤ちゃん言葉でなだめるのでもなく、長く生きてきた人間どうしとして言葉をかけるようにしています」

合格率20%の難関に挑む80歳

千福さんは聴覚障害がある人のケアをきっかけに、手話も学び始める。挨拶だけでも喜ばれたのが嬉しくて、手話教室に通い続け、今年は手話技能検定3級の試験に挑戦するそうだ。

今では手話講師として講習を開くこともある。
今では手話講師として講習を開くこともある。(写真提供=プラスワンケアサポート)

さらに80歳にして挑戦したのが「介護支援専門員(ケアマネジャー)」の試験。合格率は約20%という狭き門である。さぞ熱い決意があったのだろうと思いきや……。

「私ももう80歳になるんやし、傘寿の記念に受けてみようかなと思って」と千福さん。

朗らかな返事にちょっと拍子抜けするが、それも思わぬ成りゆきだったらしい。もともと娘がケアマネジャーの資格を取っており、問題集などを段ボールに詰めて送ってきた。「お母ちゃんも認知症になると困るから、これ見て、ケアマネ受けたらどう?」と。そのときは押し入れにしまい込んでいたが、80歳の誕生日を前に受験を思い立ったという。

試験会場の雰囲気が好き

そうと決めたら、フットワークが軽い千福さん。さっそく受験の申し込みをすると、ひたすら「過去問」三昧の日々を送る。介護保険制度や法律などの専門知識には頭を抱えたが、試験当日はやはり楽しかったという。

「始まる前はみんな問題集を見ていて、世の中にはこんなに一生懸命やってはる人がおるんやと思う。あの試験会場の雰囲気がとても好きなんです」

千福さんは難関のケアマネジャーの試験にも一発で合格。だが、そこから半年ほど続く研修がもっと大変だったと苦笑する。数千人集まる会場で講座が開かれ、グループ別の実務研修に入る。ケアマネジメントに必要な知識や技能を習得する研修だ。当日は資料をリュックとスーツケースに入れて、朝早い満員電車で会場へ。細かな記述作業のためにパソコンも必死で覚えた。

「そこでまたいろんな人と一緒になり、違う人生も見られる。家でじっとしてテレビを観ているよりもいいかなと(笑)」

5年間担当した男性が他界

晴れてケアマネジャーになっても、ヘルパーの仕事は変わらず続けた。千福さんに頼みたいという人も多いのだ。中には5年越しで、ほとんど毎日通い続けた男性の家もあった。

必ず持っていく千福さんの仕事道具。
撮影=水野真澄
必ず持っていく千福さんの仕事道具。

「とても優秀で出世街道を歩いてこられた方。奥さんの介護を7年されていたそうです。奥さんを看取ってしばらくすると、やかんの空焚きなどが出てきたので、一人暮らしを案じる娘さんに頼まれて一日何時間も入っていました」

最初は介護度も低く、要支援1だった。何事もゆったりして、きれい好きな人なので入浴も一時間ほどかかる。千福さんは身の回りの世話をして、話し相手になった。だが、男性は胃のポリープが悪化して入院。退院後は要介護度4、5とどんどん進んでいく。

「その方は『ワシがもう何もわからんようになったら、ずっと傍に居ててや。頼むぞ』と言っていらした。ところが、あれよという間に衰弱されて、92歳で亡くなられました。今年7月2日、ちょうど丸5年になる日でした」

もう、怖いものはない

家族のように寄り添ってきた人との別れは辛い。夫に先立たれてから一人暮らしの千福さん、近頃は親族や知人の訃報も続く。時にはふと気弱になることもあるだろう。

家族への安否確認をかねて毎日フェイスブックに投稿。
家族への安否確認をかねて毎日フェイスブックに投稿。(撮影=水野真澄)

「くじけそうになったときは、『山よりでかい獅子は出ない』と自分に言い聞かせます。人生にはいろんなことが起きるけれど、大きい獅子が出て命まで取りに来ることはないと。そう思えばもう、怖いもんはないですよ」

今日を何とか生きれば、また明日が来る。そんな気持ちで過ごしてきたという千福さんは、この秋87歳になる。数えで88歳、米寿のお祝いだ。100歳まで現役が目標、現在の健康状態を考えると、90歳の卒寿は大丈夫、このまま目標まで介護の仕事を続けたいと願っている。。

「私はその時その時、自分に合った仕事を与えてもらっている。だから、流れのままに生きる人生ですね。逆らわず、かといって流されるわけでもなく、その時々の流れにのって生きてきたら、この仕事にたどり着いたという感じなんです」

「この年になっても待ってくれている人がいると思うと、やりがいを感じる」と千福さん。
「この年になっても待ってくれている人がいると思うと、やりがいを感じる」と千福さん。(撮影=水野真澄)

訪問先へ顔を出すと、「ああ、待ってたんや」と喜んでもらえるのが何より嬉しい。現在も週3日はヘルパーとして勤務している。毎日の楽しみは晩酌に日本酒を飲むこと。最近はフェイスブックも始め、毎日更新している。日々の出来事や失敗談をユーモラスに綴った投稿が人気だが、実は娘たちへの「安否確認」なのだとか。更新しない日があると、「お母ちゃん、生きてる?」とメールが来るそうだ。

健康には自信があった千福さんだが、一度だけ足を痛めて弱音を洩らしたことがある。すると嫁からステッキ傘が届き、それを使って歩いていたら、いつのまにか治っていた。「これは私まだまだいけるわ!」と思ったという千福さん。その笑顔を待ちわびる人たちのもとへ今も元気に通い続けている。