出産後、子育てのため上尾に移籍

夫・四宮洋平さん(左)と、娘・和香ちゃんを抱く荒木絵里香さん(右) 写真=本人提供
夫・四宮洋平さん(左)と、娘・和香ちゃんを抱く荒木絵里香さん(右) 写真=本人提供

長女・和香ちゃんを授かったのは、2014年1月。自身2度目の五輪となる2012年ロンドン大会で銅メダルを獲得した直後の2013年にラグビー元日本代表の四宮洋平さんと結婚し、その後すぐに妊娠が判明したのだ。当時、V・プレミアリーグの強豪・東レアローズに在籍していた彼女は、10年間過ごしたチームを退団。出産を経て、半年後の2014年6月に同じプレミアリーグの埼玉上尾メディックスに移籍し、新たなキャリアを踏み出した。

新天地として埼玉上尾メディックスを選んだのは、子育て環境を考えてのこと。夫・四宮さんのビジネス拠点は東京にあり、母・和子さんは千葉県柏市に住んでいた。「絵里香のやりたいことを全力でサポートする」と現役復帰の背中を押してくれた母の支援を受けるためには、柏市から遠いと厳しい。そんな思いから上尾入りを決断したのだった。

母・和子さんが、週の大半を埼玉県上尾市の荒木さん一家と同居し、週1回だけ柏市に帰る形を取ることにした。こうして荒木さんの「母・妻・競技者」の生活がスタートした。

夫や母の後押しで代表復帰

2015年3月には日本代表チームへの復帰の打診を受けた。最初は躊躇したというが、夫の「チャレンジするべき」という後押しと、母の「和香の面倒は見るから」という言葉に勇気づけられ、再び日の丸をつけて戦う覚悟を決めた。

荒木絵里香さん 写真=本人提供
荒木絵里香さん 写真=本人提供

その後、荒木さんに心臓の不整脈が発覚。一度は選手生命の危機に瀕したが、医療機関を経営母体に持つ埼玉上尾メディックスのサポートもあって迅速な処置がかない、選手生活を続けることができるようになった。その経験もあって「プレーできる時間のありがたさをかみ締めながら、行けるところまで頑張ろう」と、2016年リオデジャネイロ五輪に参戦。日本は5位と、2大会連続メダルこそ逃したが、荒木さんは獅子奮迅の働きを見せることができた。

その時点で32歳。子育て中の女性アスリートなら、現役引退を考えてもおかしくない年齢ではあったが、彼女はやめようとは考えなかった。

そんな時、2015~16年シーズンに埼玉上尾メディックスがV・チャレンジリーグ(2部)に降格。「より高いレベルでプレーさせたい」という夫の後押しもあって、現所属のトヨタ車体クインシーズへの移籍話を真剣に考え始めた。日本代表の先輩でもある多治見麻子監督(現日立リヴァーレ監督)が指揮するチームで、荒木さんとしても心強かった。

ただ、やはり懸念材料は家族のことだった。夫の四宮さんは、仕事のある東京から離れられないし、荒木さんも2歳の娘と離れるわけにはいかない。かといって、遠征などもある中で、荒木さん一人で娘の面倒を見ることも難しい。

結局、母の和子さんも、娘・孫とともに、トヨタ車体クインシーズの本拠地、愛知県刈谷市へ引っ越すことを了承してくれた。3人で新たな環境へ赴き、2020年の東京五輪まで完全燃焼する決意を固めた。

試合中の荒木絵里香さん(背番号5番)
写真=日本バレーボール協会提供
試合中の荒木絵里香さん(背番号5番)