「娘と最後まで戦い抜く」
東京オリンピック(五輪)本番まであとわずか。バレーボール日本女子代表チーム「火の鳥NIPPON」のキャプテンを務める荒木絵里香選手も、“最後の五輪”に全身全霊を注いでいる。
「娘も小学2年生になって、五輪や日本代表のことも彼女なりに理解し、前よりも『頑張って』という言葉をかけてくれるようになりました。会えない時間は長いですが、私だけでなく、娘も留守番をしながら頑張っている。最後まで一緒に戦い抜きたいと思います」
東京五輪本番を視野に入れ、チームは今年3月1日から長期合宿と遠征を繰り返してきた。その間、荒木主将は母親の立場をいったん横に置き、トップアスリートとして懸命に高みを追い求めているのだ。
思いがけず生まれた「母親業専念の時間」
コロナ禍が始まった2020年は、3月下旬に合宿が中止になり、8月に1回活動しただけ。2003年の初代表入りから、結婚・出産・育児が続いた2013~15年以外はずっと日の丸を背負い続けてきた荒木さんにとっても、そこまで活動が少なかったのは初めてだっただろう。
1回目の緊急事態宣言が出された2020年の4月から5月にかけては、所属先チームのトヨタ車体クインシーズのトレーニングも休止状態に追い込まれたため、長女・和香ちゃんと母・和子さんの住む千葉県柏市に戻り、母親業に専念する時間も持てた。
「娘と朝から晩まで一緒に過ごせたのは新生児の時以来かな。一緒に料理や散歩をしたりして、改めて娘の成長を感じたし、いい時間だったと思います」と言う。
そうして娘と濃密な時間を過ごした後であれば、後ろ髪を引かれるのは当然だ。娘から「ママと一緒にいたい」と言われるたびに胸が痛んだ。
東京五輪が1年延期になり、引退を選ぶアスリートもいたが、「東京五輪まで戦い抜きたい」という決意は変わらなかった。結局2020年5月中旬からは家を離れ、チームの本拠地・愛知県刈谷市に単身赴任して競技生活に戻った。
それからの1年間は、可能な限り柏市との間を往復したが、コロナ前のように自由に長距離移動ができるわけではない。家族に会えないつらさも募ったが、全てはバレーボール、そして4度目の五輪挑戦のためだと耐えた。
出産後、子育てのため上尾に移籍
長女・和香ちゃんを授かったのは、2014年1月。自身2度目の五輪となる2012年ロンドン大会で銅メダルを獲得した直後の2013年にラグビー元日本代表の四宮洋平さんと結婚し、その後すぐに妊娠が判明したのだ。当時、V・プレミアリーグの強豪・東レアローズに在籍していた彼女は、10年間過ごしたチームを退団。出産を経て、半年後の2014年6月に同じプレミアリーグの埼玉上尾メディックスに移籍し、新たなキャリアを踏み出した。
新天地として埼玉上尾メディックスを選んだのは、子育て環境を考えてのこと。夫・四宮さんのビジネス拠点は東京にあり、母・和子さんは千葉県柏市に住んでいた。「絵里香のやりたいことを全力でサポートする」と現役復帰の背中を押してくれた母の支援を受けるためには、柏市から遠いと厳しい。そんな思いから上尾入りを決断したのだった。
母・和子さんが、週の大半を埼玉県上尾市の荒木さん一家と同居し、週1回だけ柏市に帰る形を取ることにした。こうして荒木さんの「母・妻・競技者」の生活がスタートした。
夫や母の後押しで代表復帰
2015年3月には日本代表チームへの復帰の打診を受けた。最初は躊躇したというが、夫の「チャレンジするべき」という後押しと、母の「和香の面倒は見るから」という言葉に勇気づけられ、再び日の丸をつけて戦う覚悟を決めた。
その後、荒木さんに心臓の不整脈が発覚。一度は選手生命の危機に瀕したが、医療機関を経営母体に持つ埼玉上尾メディックスのサポートもあって迅速な処置がかない、選手生活を続けることができるようになった。その経験もあって「プレーできる時間のありがたさをかみ締めながら、行けるところまで頑張ろう」と、2016年リオデジャネイロ五輪に参戦。日本は5位と、2大会連続メダルこそ逃したが、荒木さんは獅子奮迅の働きを見せることができた。
その時点で32歳。子育て中の女性アスリートなら、現役引退を考えてもおかしくない年齢ではあったが、彼女はやめようとは考えなかった。
そんな時、2015~16年シーズンに埼玉上尾メディックスがV・チャレンジリーグ(2部)に降格。「より高いレベルでプレーさせたい」という夫の後押しもあって、現所属のトヨタ車体クインシーズへの移籍話を真剣に考え始めた。日本代表の先輩でもある多治見麻子監督(現日立リヴァーレ監督)が指揮するチームで、荒木さんとしても心強かった。
ただ、やはり懸念材料は家族のことだった。夫の四宮さんは、仕事のある東京から離れられないし、荒木さんも2歳の娘と離れるわけにはいかない。かといって、遠征などもある中で、荒木さん一人で娘の面倒を見ることも難しい。
結局、母の和子さんも、娘・孫とともに、トヨタ車体クインシーズの本拠地、愛知県刈谷市へ引っ越すことを了承してくれた。3人で新たな環境へ赴き、2020年の東京五輪まで完全燃焼する決意を固めた。
目まぐるしく忙しい選手生活
しかし、V・プレミアリーグと日本代表を掛け持ちするトップ選手の1年間は、傍目には想像もつかないほど目まぐるしい。
2017~18年シーズンを例に取ると、Vリーグが2017年秋に開幕。春まではシーズンが続くため、毎週末は公式戦で忙殺された。2018年4月からは日本代表の活動がスタート。ベテランの荒木さんは、全てに参戦したわけではなかったが、時間が拘束されることは少なくなかった。
さらに、8月にはアジア大会(インドネシア)、9月には世界選手権(横浜・名古屋ほか)と国際大会が続く。これにはもちろんフルで参加し、前後には休みなしの代表合宿があった。こうした怒涛の日々の後、わずかなオフを挟んでトヨタ車体に戻り、2018~19シーズンのVリーグに挑むという形だ。
他の競技と比べても、バレーボールは非常に拘束期間が長い。それを何年も続けているのだから本当に頭が下がる。選手たちは「昔からそうだから」と特に違和感を覚えてはいないようだが、子育てをしながらの女性選手にとっては非常に厳しい環境だ。
「自分がやっていることは、本当に正しいのか」
幼い子どもが、母親が置かれた状況すべてを理解することは難しい。荒木さんの場合も、幼い娘に「行かないで」と泣いて追いすがられることは少なからずあった。幼稚園で、精神的に不安定な様子を見せたり、荒木さんが遠征先からかけてきたテレビ電話に興味を示さなくなったりと、困惑する出来事もいくつかあり、両立の難しさを痛感させられたという。
「『自分がやってることは、本当に正しいんだろうか』という疑問を抱いたことも1回や2回ではありません。でもバレーボールを続けると決めた以上、途中で投げ出すわけにはいかない。一緒にいる時にたくさん愛情を示して、抱きしめることしかできないんだと思います」。荒木さんは、娘の和香ちゃんが5歳だった2年前、神妙な面持ちでこう語っていた。
夫の四宮さんは、悩む妻を見ながら「僕らは決していい親じゃないだろうけど、娘にはタフになってもらうしかない。絵里香のお母さんも頑張ってくれてますし、いつか娘も分かってくれる時が来ると思います」とかみ締めるように話していた。
欧州での生活が長く、子育て中のアスリートへの支援体制が整った現地のスポーツ環境を見てきた四宮さんは、女性アスリートが現役を続けにくい日本の状況に違和感を持っていた。ゆえに、自分たちが風穴を開ける存在になりたいと考え、荒木さんの選手活動を応援するスタンスを取り続けている。
五輪とともに「子育て優先の生活」も延期
家族の理解と協力を得ながら、選手生活を続けて迎えた2020年春。娘の和香ちゃんが小学校に入学した。「友達がたくさんいる刈谷に残りたい」と言う娘を説得し、母とともに、荒木さんの実家がある千葉県柏市に引っ越すことを決めた。2020年夏に開催予定だった東京五輪をもって選手キャリアに一区切りをつけ、五輪後は柏市で、子育て優先の生活を送ろうと考えていた。
ところが、予期せぬ新型コロナウイルス感染拡大によって、五輪が延期になり、シナリオが大幅に狂ってしまった。荒木さんは、愛知県刈谷市に単身赴任することになった。葛藤はもちろんあったが、「決めたことは絶対にやり遂げる」という強い意思は揺らがなかった。
「五輪後のことは考えない」
そんな荒木さんを、女子日本代表の中田久美監督はキャプテンに指名。チームの統率を任せた。
「2019年の年末に携帯に連絡があって『キャプテンをやってほしい』と言われました。それまでキャプテンだった名奈(岩坂名奈選手。2021年4月に引退)の気持ちもあるし、『いったん考えさせてください』と返事をして、家族に相談しました。旦那さんから『ぜひやるべき。頑張れ』と言われ、ポジティブな気持ちになり、引き受けることにしたんです」
キャプテンを務めるのはロンドン五輪以来。当時は竹下佳江選手(現・ヴィクトリーナ姫路取締役球団副社長)、木村沙織選手(2017年3月に引退)らチームをリードしてくれる存在がいたが、チーム最年長かつ4度目の五輪参戦となる今回は立場がまるで違う。
しかも、コロナ禍でミーティングも満足にできない状況の中、若いチームを引っ張っていくのは至難の業だ。五輪開催への賛否両論が渦巻くなか、経験値の少ない選手の中には、不安やストレスを抱える人が出てくるかもしれない。精神面のケアをしながら最高のパフォーマンスを引き出す役割は重責だ。しかし、荒木さんならそれができるという期待が中田監督にあったのだろう。
荒木さんは、こうした期待をエネルギーに変えている。東京五輪が終わるまでは愛娘と過ごす時間もほとんど持てないが、「五輪の後のことは今、一切考えていません」と、今できることだけに集中している。
中田久美監督率いる日本代表チームは、5月下旬から1カ月間にわたってイタリア・リミニで行われたFIVB(国際バレーボール連盟)バレーボールネーションズリーグ2021に参戦した。チームは6月25日の3位決定戦・トルコ戦に惜しくも0-3で敗れ、4位で大会を終えたが、間近に迫った東京五輪に向け、大きな自信と手ごたえをつかむと同時に、メダルへの課題を突き付けられる形となった。
「久しぶりの国際大会で17試合戦いましたが、その中には劣勢から逆転で勝つ試合もあり、苦しい状況を乗り越える経験をできたことは収穫になりました。ただ、ファイナルラウンドの2連戦では、トップに立つために乗り越えるべき課題が明らかになりました。私自身の五輪への挑戦は今回が最後になると思うので、今まで一緒に戦ってくれた仲間に感謝しながら全てを出し切りたい。最高の結果をつかみたいです」と荒木絵里香主将は力強く前を向いた。
中田久美監督も「キャプテンの荒木はチーム唯一のママさんアスリート。彼女のような存在が当たり前なスポーツ界になってほしい。そういう意味でも期待しています」とエールを送っていた。36歳のキャプテンが大舞台で輝いて日本をメダルへと導き、娘に喜びと感動を与える大会になることを強く祈りたい。