告知の瞬間、浮かんだのは子どものこと
柴田敦巨さんが耳下腺がんの告知を受けたのは2014年。耳の下部に腫瘍があること、切除手術や入院が必要なことなど、夫と一緒に医師からの説明を聞いた。
15年ほど前からしこりがあることには気づいていたが、がんという診断結果は予想外だったという。
「でも、告知された瞬間は夫も私も意外と冷静でした。ショックというよりも、なってしまったものは仕方ないという気持ちでしたね。真っ先に心配したのは、自分の体ではなく家族のことでした。もし私がいなくなってしまったら、子どもたちの将来はどうなるんだろうと」
がんになっても生活は続く
それまで、関西電力病院の外来化学療法室で看護師として働きながら、高校生と小学生の息子2人を育ててきた柴田さん。日々のスケジュールは仕事と子どもたちの用事でぎっしりで、手術が決まってからは予定調整に追われた。雑事で忙しかったせいか、突然の告知にも取り乱している暇もなかったと笑う。
予想外の事態に直面して、柴田さんが実感したのはつらさや恐怖ではなく、ただ「がんになっても生活は続いていくんだな」ということだった。仕事にも、退院後すぐ復帰するつもりでいた。自分が休むことで空いた穴を快く埋めてくれる同僚たちに対し、申し訳ないという思いがあったという。