同性愛は動物としての本性に反するのか

男と女が結婚して子どもを授かるのが生物として自然なありようだ、同性愛は動物としての本性に反しているという意見もあります。その意見は100%間違いではありませんが、かといって、そのこととLGBTQの権利を保障することとは矛盾しません。

出口治明『自分の頭で考える日本の論点』(幻冬舎新書)
出口治明『自分の頭で考える日本の論点』(幻冬舎新書)

動物には大きい配偶子を持つ性=メスと、小さい配偶子を持つ性=オスがいます(生殖細胞のうち、接合して新しい個体をつくるものを「配偶子」といいます)。人間も動物なのでオスとメス、両者の配偶子が合体して子孫をつくります。

ところで、人間以外の動物でも、子どもをつくらないものがいます。大きい配偶子のもの同士が一緒に生活したり、その逆だったりするケースがあり、少数派が存在するのです。

LGBTQや障がい者は、端的にいえば、すべての動物において一定の確率で生じる少数派であって、存在して当たり前なのです。ハンディのある個体やマジョリティとは性質の異なる個体が一定割合含まれているのが、多様性があるということであり、それが自然の本来の姿です。

したがって、人間においても、そのような少数派をインクルージョン(包摂)するほうが、社会のあり方としては、はるかに健全だといえます。

多様性を活かすインクルージョンの発想

LGBTQからは逸れますが、インクルージョンは都市のあり方にも当てはまります。20世紀の都市論は、世界遺産になった上野の国立西洋美術館を設計したル・コルビュジエの思想が1つの基盤になっています。都市の中に大きな道を縦横に走らせ、ここは住宅地区、ここは商業地区、ここは工業地区とセパレート(分離)してゾーニングするという発想です。ブラジルの首都ブラジリアはこの思想に則って建設されています。

この考え方に真っ向から反対したのがジェイン・ジェイコブズというアメリカ人のジャーナリスト・都市研究家です。彼女は真っ直ぐな道など面白くも何ともない、道はくねくねと曲がっていて、どこへつながっているのかわからないほうが楽しい、町も商店やオフィス、住宅などがごちゃ混ぜのほうがいい、なぜならば人間は仕事もすれば、モノも買うし、生活もしているのだから、と主張しました。インクルージョンの発想です。

20世紀の都市論は、この2つの思想のあいだで争われました。どちらの町が楽しいかはいうまでもありません。どこかの国へ行き、とてもきれいで大きくて真っ直ぐな目抜き通りがあって、その裏になんだか怪しげな小道があるとしたら、皆さんはどちらの道を歩くでしょうか。

僕なら迷うことなく怪しげな道のほうへ行きます。大きくて真っ直ぐな道は車には便利でしょうが、人間にとっては決して魅力的ではありません。一目で遠くまで見通せてしまう道より、人の営みのにおいがする路地を歩きたいというのが、人間の素朴な心理ではないでしょうか。

こんなことからも、僕は、セパレートの思想よりもインクルージョンの思想のほうが、人間性に即していると思います。