スマホやSNSを通じてネットの情報をいくらでも仕入れられるようになった。しかしどれくらいが頭に残っているだろうか。精神科医のアンデシュ・ハンセン氏は「スマホの使用により集中力や作業記憶が脅かされるだけでなく、学習能力も落ちる」と指摘する――。

※本稿は、アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

スマホを手に考える女性
写真=iStock.com/miya227
※写真はイメージです

情報が記憶に残らない「デジタル性健忘」

グーグル効果とかデジタル性健忘と呼ばれるのは、別の場所に保存されているからと、脳が自分では覚えようとしない現象だ。脳は情報そのものよりも、その情報がどこにあるのかを優先して記憶する。だが、情報を思い出せなくなるだけではない。ある実験では、被験者のグループに美術館を訪問させ、何点かだけ作品を写真撮影し、それ以外は観るだけにするよう指示した。翌日、何枚も絵画の写真を見せたが、その中には美術館にはなかった絵画も混ざっていた。課題は、写真が美術館で観た絵画と同じかどうかを思い出すことだ。

判明したのは、写真を撮っていない作品はよく覚えていたが、写真を撮った作品はそれほど記憶に残っていなかったことだ。パソコンに保存される文章を覚えようとしないのと同じで、写真に撮ったものは記憶に残そうとしないのだ。脳は近道を選ぶ。「写真で見られるんだから、記憶には残さなくていいじゃないか」

なぜ知識を身につけなくてはいけないのか

では、なぜ私たちは知識を身につけなくてはいけないのだろうか。スマホにグーグルやウィキペディアが入っているのに。確かに、電話番号くらいなら問題ない。だが、あらゆる知識をグーグルで代用することは当然できない。人間には知識が必要なのだ。社会と繋がり、批判的な問いかけをし、情報の正確さを精査するために。情報を作業記憶から長期記憶へと移動するための固定化は、「元データ」を脳のRAM(ランダム・アクセス・メモリ)からハードディスクに移すだけの作業ではない。情報をその人の個人的体験と融合させ、私たちが「知識」と呼ぶものを構築するのだ。

人間の知識というのは、暗記した事実をずらずらと読み上げることではない。あなたの知り合いでいちばん賢い人が、必ずしも〈トリビアル・パスート〉[訳註:一般知識を競うクイズ形式のボードゲーム]で勝つとはかぎらない。本当の意味で何かを深く学ぶためには、集中と熟考の両方が求められる。素早いクリックに溢れた世界では、それが忘れ去られている危険性が高い。ウェブページを次から次へと移動している人は、脳に情報を消化するための時間を与えていないのだ。

スティーブ・ジョブズはコンピューターを「脳の自転車」みたいなものだと称した。思考を早くするための道具だ。私たちの代わりに考えてくれる「脳のタクシー運転手」と呼ぶほうが正確かもしれない。確かに快適だが、新しいことを学ぶのを誰かに任せてしまいたいだろうか?