大学の内でも外でも「女の用途別使い分け」
【田房】総合職がゲバルト・ローザで、一般職が救対の天使?
【上野】そうそう。女の用途別使い分けよ。大学闘争の現場にはもうひとつの類型があって、それが「慰安婦」だったの。当時、性的にアクティブな女の子たちを、男たちは「公衆便所」って呼んでいたのね。凄まじい侮蔑の言葉でしょ。同志の女につけこみながら、影で笑い者にしてたの。
【田房】ひどい……。
【上野】どれぐらい蔑視していたかがよくわかるよね。ところが91年に「従軍慰安婦」(※4)が問題になった時、その言葉がもともと皇軍兵士(※5)が「慰安婦」に対して使った言葉だったことをはじめて知った。自分たちが同志だと思っていた男が裏で女性を侮蔑してたってだけでも耐え難いけど、それが皇軍兵士の用語と同じだったなんて! ほんとに、口もきけないぐらいのショックだった。歴史的な伝承があったのか、それとも誰でも思いつくような言葉だったのか、歴史的検証をしてみないとわからないけれど。
【田房】皇軍っていうのは、天皇の軍ってことですか?
【上野】そう。男たちは「天皇制解体」とか「家族帝国主義粉砕」って叫びながら、実際には家父長的なオヤジと同じふるまいをしてたのよ。共学で一緒に勉強して、一緒に隊列に並んだ男の子たちが、とんでもない家父長男だったってこと。頭の中は革命でも、体は完全に家父長制のおっさん。戦前、「共産党、家に帰れば天皇制」っていう川柳があったんだけど、そこから何も変わってない。
【田房】聞いたことあります。フェミニストや共産党員に育てられた人が、「親は外では立派なことを言うけど、家庭は崩壊してた」って。
「理由はね、私怨よ!」
【上野】「ワンマンな夫を妻が暴虐に耐えながら支える」みたいな話って、いくらでもあるよね。しかもその男が、革命とか階級闘争とかの「大義のため」に闘ってると、逆らえない。銃後(※6)で耐える貞女ね。そういう性分業がバリケードの中でも起こった。そこで私が何をやってたかと言うと、おむすび握ってたわけ。だからおむすびキャリア半世紀!
【田房】おむすびはどのタイプなんですか?
【上野】気の利いた三角おむすびなんかやってられないから、まんまるなおむすびね。私はけっこう上手だったのよ。なのにカタチの悪いおむすびがあると、これは上野が握ったんだ、と男の子たちが言ってたそうな(笑)。おむすび握るのは銃後の妻で賄い婦。銃後の妻と慰安婦はお互いに補完関係にある。運動には男も女もなかったはずなのに、結果としてどれだけジェンダーギャップがあって、女がどれだけのツケを払うかってことも、骨身に染みて味わった。私がフェミニストになった理由はね、私怨よ。
【田房】おおー!
【上野】私的な恨みつらみ! 「私怨でフェミになるなんてけしからん」とか言う人も時々いて、「フェミニズムとは、男も女も共にジェンダーの正義を求めて闘うこと」だとか(笑)。
【田房】え、なにそれ(笑)。
【上野】私は「ケッ」て思う!
【田房】あはははは!
【上野】私の恨みつらみで闘って何が悪いの!?
【田房】うんうん!
【上野】私の頭の中には、「あの時あの場所であのヤローが私に何をした、何を言った」っていうリストがいっぱいある。「許せない!」っていう気持ちがいっぱいあります(笑)。フェミニズムは「わたし」から出発する。個人的なことは政治的なことだから!
※4 【従軍慰安婦】日中戦争、太平洋戦争において、戦地の日本軍慰安所で将兵の性の相手にされた女性。植民地や占領地出身の女性の多くは甘言に騙されたり、または強制的に連行され、監禁されて性暴力を受けた。
※5 【皇軍兵士】天皇が統率する軍隊に所属する兵士。皇軍という言葉は、満州事変期頃から復古主義に傾き始めた軍の自称として用いられた。昭和の日本軍を指すことが多い。 参考:岩波講座5 アジア・太平洋戦争『戦場の諸相』より一ノ瀬俊也「皇軍兵士の誕生」(岩波書店、2006)
※6 【銃後】戦場の後方。前線の戦闘に加わらない一般国民を指す。「銃後の妻」という言い回しは、戦地に夫を送り、家を守る妻の意味で使われた。