※本稿は上野千鶴子・田房永子『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』(大和書房)の一部を再編集したものです。
男の帰りを待つ女、男とデモに行く女
【田房】『何を怖れる』の中で、「(大学闘争で)自分はバリケードの中でメイクもせずラフな格好で男と一緒に闘っていたのに、その男たちの彼女になるのはお化粧して身ぎれいにした女の子だった。それが自分がリブに参加したきっかけだった」って言ってる方が印象的でした。
【上野】米津知子さん(※1)の発言ね。そうなの、男の中にはダブルスタンダードがある。死地に赴く男を柱の影でじっと袖をくわえて見送り、待つ女。そういうタイプの女たちは、男の子が逮捕されて拘置所に入ると救援対策で差し入れ持っていったり、着替え持っていったりするのよ。「救対の天使」と呼ばれた。
【田房】ほうほう。
【上野】一方で男と一緒に隊列組んでデモに行く女がいて、こういう女性の中に「ゲバルト・ローザ」と呼ばれる女性がいました(笑)。
【田房】ゲバルト?
【上野】ドイツ語で暴力って意味。「ゲバ棒」とか聞いたことない? 「ゲバ棒」のゲバは、ゲバルトのゲバ。
【田房】「ゲバ棒」は聞いたことあります!
【上野】当時東大で男子と一緒にゲバ棒を持つ女の子がいたらしくて、その女性についたあだ名が「ゲバルト・ローザ」。ローザは女性革命家のローザ・ルクセンブルク(※2)からとったのね。同志とした女は恋人にせず、恋人には都合のいい耐える女、待つ女を選ぶ。これが男のダブルスタンダード。今の「総合職女と一般職女」(※3)とおんなじね。
※1 【米津知子】1948年―/女性運動家/2歳半でポリオにかかり、足に障害を持つ。「SOSHIREN 女(わたし)のからだから」「DPI女性障害者ネットワーク」メンバー。
※2 【ローザ・ルクセンブルク】1871―1919年/政治理論家、革命家/ポーランド生まれ、ドイツで活動した。
※3 【総合職と一般職】企業による採用コースの名称。1986年の男女雇用機会均等法を受けて、男女別で行われていた雇用管理を改めるために企業などで導入された。一般的に総合職は判断を要するような基幹業務、一般職は補助的な業務を行うとされる。導入された当時は「男性並みに働きたい総合職」と「結婚相手を見つけて寿退社を目指す一般職」といった対立構造で揶揄されることがあった。厚生労働省の調査委によると、2014年度入社の総合職採用者に占める女性割合は22.2%、一般職採用者に占める女性割合は82.1%となっている。
大学の内でも外でも「女の用途別使い分け」
【田房】総合職がゲバルト・ローザで、一般職が救対の天使?
【上野】そうそう。女の用途別使い分けよ。大学闘争の現場にはもうひとつの類型があって、それが「慰安婦」だったの。当時、性的にアクティブな女の子たちを、男たちは「公衆便所」って呼んでいたのね。凄まじい侮蔑の言葉でしょ。同志の女につけこみながら、影で笑い者にしてたの。
【田房】ひどい……。
【上野】どれぐらい蔑視していたかがよくわかるよね。ところが91年に「従軍慰安婦」(※4)が問題になった時、その言葉がもともと皇軍兵士(※5)が「慰安婦」に対して使った言葉だったことをはじめて知った。自分たちが同志だと思っていた男が裏で女性を侮蔑してたってだけでも耐え難いけど、それが皇軍兵士の用語と同じだったなんて! ほんとに、口もきけないぐらいのショックだった。歴史的な伝承があったのか、それとも誰でも思いつくような言葉だったのか、歴史的検証をしてみないとわからないけれど。
【田房】皇軍っていうのは、天皇の軍ってことですか?
【上野】そう。男たちは「天皇制解体」とか「家族帝国主義粉砕」って叫びながら、実際には家父長的なオヤジと同じふるまいをしてたのよ。共学で一緒に勉強して、一緒に隊列に並んだ男の子たちが、とんでもない家父長男だったってこと。頭の中は革命でも、体は完全に家父長制のおっさん。戦前、「共産党、家に帰れば天皇制」っていう川柳があったんだけど、そこから何も変わってない。
【田房】聞いたことあります。フェミニストや共産党員に育てられた人が、「親は外では立派なことを言うけど、家庭は崩壊してた」って。
「理由はね、私怨よ!」
【上野】「ワンマンな夫を妻が暴虐に耐えながら支える」みたいな話って、いくらでもあるよね。しかもその男が、革命とか階級闘争とかの「大義のため」に闘ってると、逆らえない。銃後(※6)で耐える貞女ね。そういう性分業がバリケードの中でも起こった。そこで私が何をやってたかと言うと、おむすび握ってたわけ。だからおむすびキャリア半世紀!
【田房】おむすびはどのタイプなんですか?
【上野】気の利いた三角おむすびなんかやってられないから、まんまるなおむすびね。私はけっこう上手だったのよ。なのにカタチの悪いおむすびがあると、これは上野が握ったんだ、と男の子たちが言ってたそうな(笑)。おむすび握るのは銃後の妻で賄い婦。銃後の妻と慰安婦はお互いに補完関係にある。運動には男も女もなかったはずなのに、結果としてどれだけジェンダーギャップがあって、女がどれだけのツケを払うかってことも、骨身に染みて味わった。私がフェミニストになった理由はね、私怨よ。
【田房】おおー!
【上野】私的な恨みつらみ! 「私怨でフェミになるなんてけしからん」とか言う人も時々いて、「フェミニズムとは、男も女も共にジェンダーの正義を求めて闘うこと」だとか(笑)。
【田房】え、なにそれ(笑)。
【上野】私は「ケッ」て思う!
【田房】あはははは!
【上野】私の恨みつらみで闘って何が悪いの!?
【田房】うんうん!
【上野】私の頭の中には、「あの時あの場所であのヤローが私に何をした、何を言った」っていうリストがいっぱいある。「許せない!」っていう気持ちがいっぱいあります(笑)。フェミニズムは「わたし」から出発する。個人的なことは政治的なことだから!
※4 【従軍慰安婦】日中戦争、太平洋戦争において、戦地の日本軍慰安所で将兵の性の相手にされた女性。植民地や占領地出身の女性の多くは甘言に騙されたり、または強制的に連行され、監禁されて性暴力を受けた。
※5 【皇軍兵士】天皇が統率する軍隊に所属する兵士。皇軍という言葉は、満州事変期頃から復古主義に傾き始めた軍の自称として用いられた。昭和の日本軍を指すことが多い。 参考:岩波講座5 アジア・太平洋戦争『戦場の諸相』より一ノ瀬俊也「皇軍兵士の誕生」(岩波書店、2006)
※6 【銃後】戦場の後方。前線の戦闘に加わらない一般国民を指す。「銃後の妻」という言い回しは、戦地に夫を送り、家を守る妻の意味で使われた。
自由にふるまうほど、つけ込まれてしまう
【上野】リブの女たちが両親のような男女関係は作りたくないって強く思っていても、女が自由にふるまえばふるまうほど、男につけ込まれる結果になってしまう。
【田房】そうなんだ……つけ込まれるっていうのは?
【上野】つまり、やらせてくれる女。
【田房】ああー。
【上野】セックスしても責任とらなくてすむし、自分は別なところで女を作って、卒業したら指導教官(大学学部あるいは大学院において卒業論文、修士論文、博士論文などの指導をする教員。当時、国立大学はまだ「教官」だった)を媒酌人にしてさっさと結婚する。そういう男が私の周りにもいた。あのヤロー、って言うと、男同士は「イヤ、アイツにも事情があって」ってかばうのね(笑)。
【田房】あはは!
【上野】というような中で、女の人たちはボロボロになっていったのよ。初期のリブの活動家たちって、男性の同志に裏切られた元女性活動家たちだった。その事情は日本だけじゃなくて、ヨーロッパでも、アメリカでも、世界的に似ていたわね。
【田房】今でも分業はありますよね。
【上野】そうだよねー。でも2015年の安保法案反対闘争の時に国会に集まった学生たちがいたでしょ? SEALDs(※7)【シールズ】の子たちに聞いたら、分業がまったくないとは言わないけど、かなり変わったってことがわかった。まずマイクを男の子と女の子が交互に持つでしょう? 昔は女の子は後衛部隊で、マイクを持って演説する女性はほとんどいなかったもの。女は圧倒的に少数派だから、目立つ。各党派ごとにマドンナがいるって感じ。
【田房】露骨ですね!
【上野】そういう野蛮な時代だったんです(笑)。
「男並みになろうとする女」をバカにする男たち
【田房】当時マイクを持ちたい女はいなかったんですか?
【上野】そういう女が「ゲバルト・ローザ」と呼ばれる。この命名自体にも揶揄があるよね。「女だてらに(女のくせに)」ゲバ棒を持って、男になり損ねた二流の男みたいな。戦力にならないのに、男並みを目指そうとする女だって。
【田房】そういう空気、わかります。私たちが子どもの頃にもありました。そういう女をバカにする感じ。
【上野】だから男並みになろうとする女は、それはそれでバカにされるのよ。
【田房】じゃあもう何やっても……。
【上野】何やってもよ。
【田房】もうつらい!
【上野】それが今よりもっと露骨に態度に表れる時代でした。
【田房】最近は「ビッチ」や「ヤリマン」といった言葉を、男が使う「誰でもやらせる女」という意味じゃなく、「セックスが好きでたくさんやりたい女」という意味で、女性が自称してるのもよく見かけます。
【上野】ビッチはもとは蔑称だけど、リブの女たちは自分から「魔女」って名乗ったわね。あの頃、田中美津さん(※8)たちが「魔女コンサート」をやってた。とはいえ、「私はヤリマンだ」って堂々と口にする雰囲気はなかったかな。
※7 【SEALDs】Students Emergency Action for Liberal Democracy-s(自由と民主主義のための学生緊急行動)。2015―2016年、第三次安倍政権下の安全保障関連法案に反対するため国会前抗議活動やデモ、集会を行っていたグループ。10~20代のメンバーが中心になりSNSで抗議活動を拡散し、幅広い層に運動が広がっていった。
※8 【田中美津】1943年―/鍼灸師/70年代ウーマンリブで活躍。学生運動の最中、バリケードの中の性差別を訴える「便所からの解放」というビラを配った「ぐるーぷ・闘うおんな」のメンバー。後にほかのグループと連携し、「リブ新宿センター」を設立した/『いのちの女たちへ とり乱しウーマン・リブ論』『この星は、私の星じゃない』など。
ジーパンで「性的主体性」を取り戻した
【上野】どうでもいいことだけど、思い出した! あの頃、女の子たちがはじめてジーパン履いたことで、セックスに変化が起きた。
【田房】へえ!
【上野】ジーパンって今は当たり前のファッションでしょ。あの頃はズボン履いて学校行くと、「今日は何かあるの?」「デモに行くの?」って聞かれたのよ。女はスカートを履くのが当たり前で、ジーパン履いてきた女の子を教室に入れなかった教授がいたぐらい。
【田房】えっ!? なんで……!?
【上野】神戸女学院のアメリカ人男性教授が、大阪大学で非常勤で教えた時の話。これには抗議の声が上がったけどね。
【田房】しかもアメリカ人なんですね。
【上野】ジーンズ発祥の国なのにね。でも神戸女学院はレディを育てる学校だもの。レディはジーパンなんか履いちゃいけないのよ(笑)。
【田房】へー……。
【上野】「へー」だよね(笑)。当時ジーパンって言えばローライズで、ぶっといベルトしてたの。そしたらさ、女の子がおもしろいこと言うのよ。「ジーパン履くようになってから、性的主体性ができたわ」って(笑)。
【田房】どういうことですか? ジーパンにそんな機能があった?
【上野】ないよ、ないない(笑)! なぜかって言うと、スカートだと手を突っ込まれて、いつのまにかなし崩しにセックスに持ち込まれるけど、ジーパンの場合、男が脱がせられないから、女が手伝ってやらないとできない。「ベルトはずそうとしてる間にふっと手が止まるようになった」っていうわけ。「ちゃんと選ぶようになった」って(笑)。それを「性的主体性」って呼んだのよ。
【田房】女側が相手の男を選ぶ猶予の時間ができたってこと? それまでなんだったんですか(笑)!
【上野】なし崩しよ。その場の雰囲気に流されてなんとなくっていうね。雑魚寝したりするから。それを「性的主体性ができたわ」って表現する子が出てきて、超おかしかった! それまでみんなスカートしか履いてなかったんだから。スカートってやっぱりすごく無防備だよね。そうそう、パンストが登場した時に、「パンストは昭和の貞操帯」(※9)って呼ばれてたの、知ってる?
【田房】え? え?
【上野】なんか今日は私、歴史の生き証人みたい(笑)。
【田房】パンスト履いてるとすぐに脱がせられないから?
【上野】女が自分から脱がないと、脱がせるのが難しいから。日本では、パンストは確かミニスカと同時に、68年に登場したはず。パンストなしにミニスカは普及しなかったと思う。
【田房】今だとパンストって別の性的なイメージがあるかも。AVなんかでは「破るもの」みたいな、そういうジャンルもあるし。
【上野】破るのは、パンストがうんと安くなったから。
【田房】そっか!
【上野】当時は破いたらもったいなかったもんね。テクノロジーの進化も関係あるのね(笑)。
※9 【貞操帯】19世紀に使われた女性の貞操を守るための器具。鉄製で鍵がついていた。