1700年代以降、ヨーロッパではペスト沈静化
ヨーロッパにおける最後のペストの大流行は、1600年代後半~1700年代初頭でした。1665年にはロンドンで、1720年には南フランスのプロバンス地方で大流行が始まり、その主要都市であるマルセイユは大きな被害を受けました。
やがてペスト流行は収束していきますが、その背景には1300年代の大流行以降、ヨーロッパ人がそれなりに疫病に対処し、その取り組みが、1700年代以降に実を結んだ可能性はあるでしょう。この頃のヨーロッパでは、ある程度、強力な国家が生まれました。たとえば病気の予防や発生時に対応する行政が発達して、隔離や検疫が制度化されるなど、人為的に疫病対策がなされたのです。
またヨーロッパ人の住環境の充実も、ペストが下火になった要因として考えられます。もともと木造の家が石造りになり、ペストの感染源のひとつであるクマネズミとの接点が減ったのではないかと考えられるからです。ネズミの減少や、石けんの使用などの衛生状態の改善が影響しているという説もあります。
1800年代末に細菌学が成立。特効薬も続々と開発
1700年代には、まだ細菌学が成立していないので、ペストの原因は明らかになっていませんが、有毒な粒子や瘴気(ガス)などに接触して体に入ることで病気が起こるという説は1500年代には唱えられていました。
細菌学が成立したのは、1800年代末のことです。この頃、ペスト菌が発見され、ペストの部分的な封じ込めにも成功しました。その後、ペストはネズミとノミが媒介することが突き止められました。
これは人類にとって画期的な出来事でした。人間は感染症と闘うための道具や武器を次第に増やしていったのです。
その先駆けとなったのは、1700年代後半にイギリスの医師、エドワード・ジェンナーによって発見された天然痘の予防法“種痘”です。1800年代前半には、“キニーネ”というマラリアに効く成分が発見されました。
1800年代末には動物に抗体をつくらせて、その血清を人間の体に入れる“血清療法”が開発されました。1920年代には、最初の抗生物質“ペニシリン”が発見されて40年代初頭に製剤が開発されます。以降、40年代の結核の“ストレプトマイシン”など、さまざまな抗生物質の薬が開発されました。
感染症の封じ込めを可能にした背景には、インフラの整備もあげられます。インフラ整備で抑え込まれた疫病といえばコレラです。コレラは、もともとインドの一地域限定の病気でした。しかしヨーロッパ人がインドを侵略して接点を持ったことで、1800年代前半に世界的な感染拡大に至りました。1800年代半ばにはイギリスのロンドンで大流行。コレラの主な感染源は汚染された水ですから、予防にはきれいな水を供給する上下水道の整備が有効。1800年代後半から末期にかけて、上下水道の整備が進み、その後はコレラのまん延がおさまったという歴史があります。